Task 1 & 2

ワタリ先生がご自身のHPで、英語学習法Ⅰという授業の資料を公開してくださっています。

https://sites.google.com/site/doeyowata/classes/2013/mel1

slideshareで投影資料を見ていたら、こんなTaskがありました。

  1. 生徒に「何で英語の先生になったの?」と聞かれたらどう答えるか。
  2. 授業中「英語なんて使わない。別に将来英語を使わない職業に就くからから関係ないし」と言って、学習活動に参加しない生徒にどういう話をするか

というものです。まあよく聞かれそうな質問ですし、僕も一応英語教員志望者としてこの質問の答えは用意しておくべきだよなと思ったのでこの機会にここに書いておこうと思います。

まず1の英語の先生になった理由ですが、僕の答えは

「それ以外に生業にするほど面白いと思えることがないから。教員以外の仕事をしたいと今まで思ったことがない。」です。小学校のときから教員になりたいと思っていましたし、本当にそればっかり夢見てここまで生きてきたので。

なぜ教科が英語なのかという点については、大学受験のときに、教員養成系学部を受けるには教科を選ばなくてはいけなくて、自分の好きな(得意だった)社会科か英語科で迷って、「まあ英語科ならその後もし気が変わってもつぶしきくかな」くらいの理由でした。当時は、「英語の勉強面白いのになんで英語嫌いな人多いんだろうなあ。自分が教員になってそういう生徒が一人でも減ればいいなあ」ということを思っていてそれが英語教員になりたい理由でしたが、今はなんというかもうあまりそういうことは思っていなくて、今でもやんややんや言われる日本の英語教育が、少しはそういう風に言われなくなればいいなあみたいなもっと漠然としたことを考えていたりします。歳を追うごとに目標がぼやけるっていうのもよくわかりませんが。それで「英語嫌いをなくしたい」願望がなくなったのは、実は靜先生の影響だったりしています。靜先生が埼大にいらっしゃったときは、なんだかすごい人が来たようだくらいにしか思っていなかったのですが、まあちょっと読んでみるかなくらいの気持ちで読んだ本で(多分心技体かな?)、英語が好きとか楽しいとかが目標じゃなくて、英語が上達することが目標であってそれを履き違えてる奴が多すぎるんだみたいなこと書いてあったんですねそれでまあグサッと来たわけなんです。まあそうだよなあと。できるようにさせるというところから楽しいとか好きになるということになるわけで、「英語が好き」は結果でしかないっていうのはそうだよなと。まあただそういうことを考えて、「学校英語教育の目標は英語力をあげること」っていう風になっていくと、「学校教育としての英語」の目的論的にそれってどうなのみたいになるんですね。やっぱり。僕は今でも「なぜ学校で【全員が】英語を強制的に勉強させられているのか。本当に全員英語力の上達(「使える英語」とかいう曖昧な目標)を目指して努力しなくてはいけないのはなぜなのか」というのがわかりません。それでこの点はタスクの2に関わってくることなんですが、これは英語に限らず学校での学習一般に関して「こんなことしてなんの役に立つの」系の言説としてよくあがりそうなことです。で、これに対するまあ無難というか妥当でありがちな答えは

「使うか使わないか今はわからないから、必要になったときに、自分で勉強ができるように、将来の可能性を狭めないために今勉強しなさい。今やっているのはそのための勉強です。」

僕はもしかしたら、

中学校なら

「義務教育だからやってください卒業したら英語が必要ない道を自分の好きなように選んでいただいて構いませんから。」

高校なら

「じゃあ英語勉強しなくてもいい人生選べばよかったじゃないなんでそうしなかったの?」と聞いてみます。

あるいは、

「なんだってできないよりできるほうがいいんだし俺ができるようにさせてやるから黙ってついてこい」

とか言うか。

でもやっぱり、中高生の段階で自分に何が必要で何が必要じゃないかなんてのを判断できるとは思えないですよね。だから学校っていうものがあってある程度パッケージ化されたものを教えているわけで。でもたいていは「あとで困るからやっといたほうがいいよ」的なアドバイスって正直そんな役に立たないんですよだってその程度じゃ「へーそっか」くらいにしかならないし「よしやらなきゃ!」と思っても結局長続きしない。それに、「英語ができないことによるデメリット」を提示して「やらねば」と思わせるよりは、「英語ができることのメリット」を提示して「できるようになりたい」と思わせたいですよね。ただしこの方向性で注意しないといけないのが僕が以前にも書いた、「英語が話せれば世界中の人とコミュニケーションができる」系の言説ですね。これってまあ確かに日本語しか喋れない人と英語も話せる人を比べたらそりゃあコミュニケーションが可能になる人数はぐっと増えると思いますけど、僕はやっぱりこのことによって排除される人たちのことも考えるべきだと思うんですね。

それはその通りなのですが、どれだけ英語が流暢になっても英語でコミュニケーション取れない人がいるっていう事実は忘れちゃいけないと思います。RT @gachawo: 最近よく思うんだけど、全然違う人種の人と普通にコミニュケーションとれるから英語ってすごいよな。

— Yu Tamuraさん (@tam07pb915) 2013年4月14日

 

こういうことはちゃんと教えたいです。もしも生徒が自分の英語に自身が持てるようになった時に、例えば他の英語圏の人たちと英語でコミュニケーションを図ろうとして「なんだよ英語もできないのかよ」みたいなことは絶対に思ってほしくないんです。

だから本当に学校教育って難しいんですよね。やっぱりどっかで理屈じゃなくて「やらなきゃだめなもんはだめ」っていうところがないと成り立たない気がするんです。前のブログでもこんな記事を書きました。

【授業】教育について考えた

教育ってそういう営みなんだろうなと思います。なのでできれば授業中にタスク2のような状況が起こらないように全力で頑張るしかないんですが、もしもそういうことが起こってしまった場合には

「10年後にもし本当に英語が一切必要なくて田村の授業は全て無駄だったなんだったんだあの時間はって本気で思ってたらその時は全力で謝って回らない寿司でも食わしてやるからとりあえずやっとけ」

とか言ってごまかしますかね…(今までの話なんだったんだっていうツッコミありがとうございます

まとまりませんがこのへんで。

では。

アメリカ New Hampshireより。

おしまい。

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Task 1 & 2」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 「なんで英語なんか勉強するの?」と訊かれたら | 英語教育0.2

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