業績づくりを野球に例えてみる

空白の業績欄に「量より質」と書いてあったのを見てなんだかもやっとしたので少しだけ。

「業績づくり」という表現自体があまり好ましい言い方ではないと思いますが,わかりやすさを重視しています。要するに,研究したことを学会なり,論文なりで発表することをここでは意味しているとお考えください。

「研究は量より質だ」という言説があったとします。「◯◯は量より質だ」というテンプレートに,研究という言葉をあてはめただけだとここではお考えください。

研究を野球に例えることが適切かはわかりません。それは読者の方の判断を仰ぎたいと思います。

まず,上述の「研究は量より質だ」というのは,言外の意味として「量が多い=質が低い」,「量が少ない=質が高い」という関係が成り立っていることが示唆されています。つまり,量より質だという人は,数が少なくても質の高い研究をやっていくべきだという主張をしているわけです。一方で,「研究は質より量だ」という立場の人がいたとします。先ほどの「量が多い=質が低い」,「量が少ない=質が高い」という前提を共有していると仮定すると,「質より量」を主張する人は,多少質が低くてもたくさん発表して論文を書くべきだと主張をしていることになります。

ここでもう1つ確認しておきたいのは,「質の高い研究は質の高いジャーナルに掲載されるべきである」という前提です。もしも,その研究に本当に価値があると考えているならば,より多くの人に読まれる場所でその研究成果を発表したいと考えるであろうということです。私の分野でいえば,例えば,Studies in Second Language Acquisition, Language Learning, Applied Linguistics, TESOL Quarterlyあたりでしょうか。

それがいいかどうかは別として,発表する場所や媒体によってその研究がもつ価値はどうしても変わってきますよね。もちろんその基準が1つであるとも思いません。ただし現実には,地方学会の発表より国内学会の全国大会での発表が,全国大会での発表より国際学会での発表が高く評価されます。論文も,査読のない紀要や雑誌よりも査読のある紀要や雑誌のほうが評価が高く,また国内誌よりも国際誌のほうが評価が高くなるのが一般的であると思います(それが良いか悪いか,適切か適切でないかは別問題としておきます)。評価が高いというのは数量的に言えば点数が高いということです。地方学会の発表1件が1ポイントで,全国大会の発表1件は2ポイントになるとか,査読なし論文1本が1ポイントで,国際誌1本が10ポイントとかいう具合です(あくまで例えです。私の価値観ではなく)。

要するに,「研究は量より質だ」ということは,数少ない研究で多くの点数を稼ぐことと言い換えられるのではないでしょうか(その人が得点稼ぎを目指しているかどうかは別として)。そして「研究は質より量だ」というのは点数は低くともたくさんの研究をやって多くの点数を稼ぐことといえるでしょう。

では,業績づくりを無理やり野球に例えます。「研究は量より質」の人は,数少ない手数で多くの点数を稼ぐことと同義だと先ほど述べました。これは野球でいうと,ホームランを打つことになるのではないでしょうか。野球は,ランナーがホームに戻ってくると1点です。つまり,シングルヒットなら最低でも4本必要です(場合によってはシングルヒットで2塁から生還できる場合もあるが便宜上そういう状況は考えないこととします)。しかし,ホームランなら一振りで1点です。ヒット4本で1点に対し,ホームラン1本で1点。「量より質」とは,ホームランで得点を稼ごうとすることだといえるのではないかということです。もちろんヒットを打つことでも難しいことです。優秀な打者でも打率は3割,つまり10回に3回しかヒットにはできません。さらに,打者であればヒットを打てない人はいないでしょうが(そもそもヒットも打てない打者は試合にすら出られない),だれでもホームランを打てるでしょうか。そりゃ打席に立てる打者なら打てないことはないでしょうが,コンスタントに打てる人は本当に限られているはずですよね。それほどにホームランを打つことは難しいことなはずです。

さて,ここでまた野球の話を研究の話に戻して,打者というのを研究者に置き換えてみたいと思います。優秀な研究者であっても,accept率は3割,つまり,10本に3本しかpublishできません。なんてことはないでしょうが,研究者であればヒットを打てない人はいないというのはtrueでしょう。発表できないor論文書けないなんて人はそもそも研究者にすらなれないか,あるいは肩書は研究者でも「研究」という「試合」には出場していないということです。さらに,研究者であればホームランを打つこと(majorなjournalに載せて1本で高得点を稼ぐこと)はできる「はず」ですが,コンスタントにそれが出来る人は本当に限られていますよね。少なくとも私の分野ではそうだと思います。

結局のところ何が言いたいかと言いますと,「ヒットを打てない人にはホームランは打てないでしょう」ということなのです。シングルヒット4本で1点を取れる人はホームランを打つこともできるでしょうが,ヒットすらも打てない人,または打ったこともない人が,ホームランを打とうなんてなに言ってんだおいってなりませんかね。いいから打席に立ってとにかくバット振れと。まずヒットを打ってこいと。そうなりませんかね。「質より量」ができる人が「量より質」を重視できるのではないでしょうか。また,「質が低い」とはいっても「ヒット」にはなっているわけですよね形はどうあれ。綺麗なセンター返しではないボテボテの内野ゴロかもしれませんし,セカンドとライトの間にうまく落ちたポテンヒットかもしれません。それでも「ヒット」です。質の高い研究を目指すことはなんら批判されるべきことでもなく,むしろそれを目指して研究をするべきではあると思います。ただし,「量より質」というのは,せっかく回ってきた打席でホームランが打てそうにないからとバッターボックスに立たないことのようにも思えてしまいます。打席に立ち続けずにホームランって打てるものなのでしょうか?ホームランバッターだって,時には三振したり凡打でチャンスを潰してしまったりするわけですよね(実験をとってはみたけれどうまく結果が出なかったとか,意気込んで書いた論文がリジェクトされたりとか)。繰り返しになりますが,普通のバッターにもなってないのにホームランバッターになれるのかな?と思います。中にはまれに,もうそんなに内野安打ばかり狙ってないで,どっしり構えて,ホームラン狙って強振したらどうですか?そのガタイなんだし。っていう人もいたりするんですけれど。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

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