別れの季節

僕が追いかけた先輩が2人,名古屋を去ることになりました。もちろんとても前向きに。

「なんで名大にしたの?」

「なんで山下先生ゼミに入ったの?」

僕が名古屋に来てからよく聞かれる質問でした。この2つの質問の答えは,

「草薙・福田という2人がいたからです」

と言っても過言ではないでしょう。それがなかったら名古屋にも来ていないだろうし,博士後期課程に進学しようとは思わなかったいうのは事実だと思います。

今になってそんなこと言ってるようじゃダメだという自覚はあります。それでも,2人になんとかして追いつきたいと思って,頑張ってきた(つもりの)2年間でした。結局,2年間では2人の背中も見えませんでした。

なんとか引っ張られてここまではやってこれたものの,これから自分がそうやって引っ張っていけるのかどうかは自信がありません。特に,最近では色々な場面で自分自身の力不足を痛感させられることが少なくありません。本当に死ぬ気で頑張らないと,この先屍になるかもしれません。名大の1つの時代が終わったって言われないように(それはまぎれもない事実だとしても),もっともっと頑張らないといけないなという責任感みたいなものを勝手に感じていますし,そうでなくてもこのままではまずいという危機感がとてもあります。

一年のうちの8割くらいを毎日2人と一緒に過ごして,「名大は全寮制」というのもあながち嘘ではないほどの濃密な2年間でした。

そんな2人と同じ研究室で,たまにくだらない話もしつつガリガリ研究するということが,この先はもうないのだと思うと,正直寂しいです(泣いてない)。この先の付き合いはこれまでもずっと続くにしても。

それぞれに違う場所に行く側も,仲間に囲まれた環境ではない場所に行くのは寂しいという気持ちがあると思います(ちょっとでもあってくれなきゃ困る)。でも,2人のいないところで研究する残された僕も,同じくらい寂しいです。

草薙さんにはたくさんのことを教わりました。共著の論文もいくつか出版することができました。彼が修了する年に,彼が追いかけ続けた明示的・暗示的知識に関わる研究の論文を書きました。彼がたどり着いた1つの結論に関わる論文を,彼がこだわり続けた全国英語教育学会の紀要に載せることができたのは嬉しいですし,ホッとしています。

逆に心残りなのは,僕が名古屋に来てからの2年間では,「田村・福田」という順番で,論文を1本も出せなかったことです(口頭発表はありますが)。同じ名古屋大学という所属の間に,そういう論文を書けなかったのは本当に自分の力不足でした。そういう意味では,もう少し時間はかかるかもしれませんが,今投稿中の共著論文は何が何でも今出しているところに載せたいですし,いま執筆中の論文もあきらめずにやり続けたいです。それが僕にできるせめてものことかなと思います。

こんなことを言っていると,名大は大丈夫かと2人とも心配すると思います。もう言いません。

心置きなく新天地で活躍してもらうためにも

Everything is gonna be ok. Trust me.

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

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