後輩の原稿を読んであげてほしい

はじめに

この記事は,主に現在大学院に在学していて,そして同じ大学院に(大きなくくりでの分野が同じ)先輩・後輩の関係があるような人(主に私の後輩なんですがそれ以外の人にも)向けで書いています。ただし,私が博士後期課程時代を過ごした環境はかなり特殊な環境だったので,どんなところでも実践可能なわけではないかもしれないという点だけご留意ください。

最近,発表や論文投稿などを意欲的に行っている後輩の話を聞いて,先輩が後輩の成果物が他の人の目に触れる前に見てあげるというようなことが私がいたときのようには行われていないのかなと感じることがありました。それはもったいないなと思うと同時に,きっといろんな要因があるかなと思うので,いくつか論点をあげてみたいと思います。

自分がどういう経験をしてきたか

私が所属していた大学院では,いわゆる講座制のような形で,ある研究室(ゼミ)に所属して,そのゼミのトップである教授のもとで研究を行っていくというスタイルではありませんでした。主の指導教官は決まっていても,その先生以外のゼミに出ることは当たり前に行われていて,縦と横の相互交流が非常に活発な環境でした。また,学生の自主性を尊重する土壌があったので,学生同士で縦に横につながって共同研究をすることもたくさんありました。一方で,先生主導で研究をやるということは私はほとんど経験しませんでした(別にこのことにまったく不満はないです念の為)。そうした環境だったからか,先輩が後輩の面倒を丁寧に見てあげるということも,明文化されないルールのようなものとしてありました。ゼミ発表前のレジュメチェックから,口頭発表申し込み前のアブストラクトのチェック,投稿論文のチェックなど,後輩は先輩にチェックをしてもらっていました。それだけにとどまらず,同期同士で見せあったり,ときには先輩(n=1)から読んでほしいと頼まれることもまれにありました。余談ですが,私が見聞きする範囲では,現所属先の研究科(厳密に言うと私は大学院の担当になっていないので私の所属は学部ですが)は人数もそこまで多くないのと,フルタイムの院生が多くないのでそういったことがあまり行われていないのかなと思いました。

後輩からしたら先輩にお願いはしづらい

普通に考えて,ただでさえ忙しそうに見える先輩ですし,自分の論文を読んでもらおうと思うのは躊躇して当然です。投稿論文はどこに投稿するかで長さは変わってきますが,それなりの量の論文をまず読んで理解しなければいけませんし,その問題点を指摘したり,質をあげるためのコメントをすることはそれなりに労力がかかることです。学年が近かったり,いつも行動をともにするような親密度があればハードルはいくらか下がるかもしれませんが,それでも後輩からは頼みづらいでしょう。

後輩の立場にある人に言いたいのは,先輩は忙しそうに見えるかもしれませんが,先輩だって後輩に頼られることは嬉しいことなので,勇気を出してお願いしてみてほしいということです。もちろん,締め切り直前に送るとか,「明日までにお願いします」みたいな無理なお願いはNGです。余裕を持って仕上げて,そしてある程度時間の猶予をもって「○○日が投稿の締め切りですので,○○日までにコメントいただければと思います」みたいな感じで依頼するのがいいでしょう。こうしたやりとりは1度ではなく,何度も繰り返せるのが理想的です。

先輩の立場にある人は,そういう後輩からの声のかけづらさを考慮して,積極的に後輩に声をかけてあげてほしいなと思います。「最近論文書いてる?」「今度の○○は投稿するの?」とか,そういう日常的な会話の中で後輩の事情を聞いてあげていれば,「実は今○○に投稿する論文を書いてるんです」みたいなことをもあるはずです。そうなったら,「投稿する前に送ってもらえたら読むよ~」とかって言ってあげれば,後輩が感じるハードルはぐっと下がるでしょう。

後輩の指導をするというのは自分のためになる

正直,自分が論文を書いていなかったら人の論文にコメントするなんてできませんよね。だからこそ,先輩は自分が論文を書いている姿を積極的に後輩に示してあげるとともに,自分が経験したことを少しでも後輩に還元できるようにしてほしいなと思います。もちろん,自分のことに使える時間を人のために費やすわけですから,めんどくさいと思ったりするかもしれません。ただ,私はこうしたことも次にあげる3点で研究者としての自分の成長に必ずつながると思っています。

1. 自分のこの先のキャリアで役に立つ

あまり将来の利益という観点で語るのは好きではありませんが,そういうことも2つあるかなと思います。1つは,大学教員で指導生を持ったとき。もう1つは,査読者になったときです。

普通,誰かの論文を見てコメントをするというのは指導生をもつ大学教員しかやらないような仕事だと思います。それを大学院時代に経験できるというのは,大学教員としてそのようなポジションについたときに間違いなく役に立つでしょう。また,論文をそれなりに書いていて,それなりに研究者として認知されるようになれば国内の学会誌であったり国際誌であったりの査読を頼まれることがあります。これも研究者の重要な責務の1つです。出版前の論文を読んで,論文の問題点,評価できるポイント,どうしたらもっと良くなるかを指摘するというのは,まさに査読者が行うことだと思います。研究者を目指すのであれば研究コミュニティへの貢献という観点でも良い査読者になったほうがいいに決まっていますので,人の論文を読んでコメントすることは査読者になるための練習でもあると思います。

2. 自分の論文を読む目線が変わる

1つ目のポイントは長期的な視点で役に立つという話でしたが,もちろん短期的にも人の論文を読むことの意味はあります。それは,人の論文を読むと論文をより客観的に自分の論文も読めるようになるということです。議論の流れがちぐはぐなことに気づいたり,結果の解釈の問題に気づいたり,本当にいろいろなところに「論文を書く」ということに対しての学習のポイントが転がっています。そういったことは,出版された論文を読むだけ,あるいは自分で書いた論文を読み直すだけではなかなか経験できません。後輩の論文を良くするためには何が必要なのか,ということを考えることは,必ずや自分の論文を良くすることにもつながってきます。そしてこれは,いままさに自分が書いている論文であったり,直近の未来に論文を書く際にも生きてくることなのです。

3. 自分の幅を広げる

自分の研究に関わる論文だけを読んでいたりすると,なかなか他の領域の話を読む機会に出会うことはできません。同じ分野の後輩といえど,自分とそこまで近い領域の研究ではない研究をしている後輩の論文を読めば,その領域のことを勉強する機会にもなります。そうすれば,自分の視野も広がりますし,少しメタ的な目線で複数の研究領域の関連性を考える機会にもなります。

これは私も院生時代に経験したことがあるのですが,ある程度研究テーマが決まってくるとどんどん細部にのめり込んでしまって,そこから派生的に別の研究テーマを生み出そうとしがちになってしまいます。そうすると,なんでその研究やっているのだろうとか,その研究が分野にどう貢献できるのだろうという視点を取ることが難しくなってきます。こういうときに,少し離れた分野の研究を読むと,その視点を1つ抽象的なレベルにもっていくことができると感じています。自分の専門と言える領域で一流を目指すのはもちろんですが,私が見ていて一流だなと感じる人は,その領域外についても豊富な知識を持っていて,やろうと思えばその領域で質の高い研究ができるだろうなという人です。これは私の個人的な意見ですが,そういう研究者って憧れませんか?

時間はかかるかもしれないが誰でも経験できることでもない

繰り返しになりますが,いくら自分にメリットがあるといっても時間はかかります。それは間違いありません。ただ,先輩と後輩の交流が活発に行われているという環境でなければ,そもそも後輩の研究論文を読むという機会はないわけです。そう考えると,どこの大学院でも,そして誰でもが経験できることではありません。自分を成長させてくれる機会が周りにあるのであれば,それは積極的に活かしてほしいなと思います。

ただ後輩の論文を読むだけではなく,一緒に共同研究をやるというのも非常に有効な手段でしょう。この話はまた別の機会にできれば書きたいなと思います。

おわりに

私はまだまだペーペーなので,こんな偉そうなことを言う立場でもないのは重々承知の上ですが,投稿前に論文を読み合う文化というのはそのコミュニティの研究力を上げるということを私は信じて疑わないので,こういう記事を書きました。研究ってやっぱり一人じゃできないというか。願わくば,私のところの研究科もそうやって活発になってほしいなぁと思っているのですが,私はまだまだそちらの運営に関わるほど偉くないので,いつかそういう仕事をするようなときが来たら,頑張りたいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

後輩の原稿を読んであげてほしい」への2件のフィードバック

  1. くにちゃん

    「先輩に研究指導を頼まないのは、その先輩から得るものなど正直何もないと言っているのとまったく一緒」
    「後輩に手を貸さないのは、借金の踏み倒し」
    「研究がよくなるチャンスをみすみす逃すのは、単純に研究への背信」
    など暑苦しく思っていたときもありました。強い語調が好みだったので。
    …この考えは今も変わりません。今、少し柔らかい語調を覚えた私はこう想います。

    「研究が自分だけのものだなんて勘違いはやめろ」

    返信
    1. Yu Tamura 投稿作成者

      コメントありがとうございます。「研究が自分だけのものだなんて勘違いはやめろ」のほうが抽象度があがっていて逆に伝わりにくい気はしますけどねw まあなんというか、僕がいた時の仕組みは本当に良くできたものだったんだなと。

      返信

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