ライティングにおいて文の数を制限するとどうなるか

はじめに

下記のanf先生のブログ読んで考えたことを書きます。今まであまり深く考えたことがなかったんですが,以前に自分が関わった研究と,高校ライティングの入試問題の形式って,直接的ではありませんが,つながるところがあるかもしれないなという話です。

2020年度埼玉県公立高校入試問題のライティング問題から読み取るメッセージ

ライティング問題における文の数の指定

上の記事中の中では埼玉県公立高校入試でのライティング問題で文の数の指定が近年では5文以上となっていたものが,今年度は3文以上という指定になったという話があります(それだけがメインじゃないんですけど)。一見すると,書かなければいけない文の数が減るというのは要するに求められる分量が減ったと捉えられると思います。ちょっと別の角度から文の数の指定を考えてみたら面白いかもしれないということを以下で考察してみたいと思います。

文の数の上限をつくるという発想

あくまで,入試問題での指定は,「◯文以上で」という最低ラインを示しているものです。つまり,3文はいいけど2文ではいけないと。これも「制限」ですが,文の数の制限は別のやり方もあります。それは,上限を設けるということです。文の数の下限を設けるというのは,ある一定以上の流暢さ(ここでは入試という限られた時間内である程度の分量が書けること)を求めているというメッセージになると思います。

一方で,同じ内容を表現するにあたって文の数の上限をつけるとどのようなメッセージになるでしょうか。これは1文の中にどれだけ節(または句)を埋め込めるのか,つまり,どれだけ複雑な文が書けるのかを見ますよというメッセージになるでしょう。もちろん,意識的に節を増やそうと考えることを求めているわけではありません。ただ,伝える内容が同じ時,文の数が減るというのは1文の統語的複雑さ(簡単に言うと1文に含まれる節の数が多いことや1文に含まれる語数が多いこと)が必然的に(そして意識するかは別として)あがることが見込まれます。

本当に節は増えるのか?

以前,大学生・大学院生を対象に以下のような研究をしたことがあります。

How Do Japanese EFL Learners Elaborate Sentences Complexly in L2 Writing? Focusing on Clause Types

論文の概要は以下のとおりです。

ライティングによる絵描写タスクを日本語を母語とする英語学習者に課し,その際に用いる文の数に制限をかけることで統語的に複雑な文の産出を誘発し,学習者がどのような節を用いて文を複雑に書こうとするのかを明らかにしようとした論文です。別途行ったエッセイライティング課題をライティングの熟達度として操作的に定義し,熟達度によって用いられる節の数が異なるのかも検討しました。結果として, 文の数が制限されることにより等位節,関係節,非定型節の産出が増え,これらの節は文を複雑にするために学習者がよく用いることが明らかになりました。また,非定型節は熟達度が高くなるほど多く用いられる傾向にありました。これらの結果に基づき,節の数や節の長さなどの指標を用いるのだけではなく,節の種類にも着目することで,学習者のライティングをより詳細に捉えられる可能性について論じました。

https://tamurayu.wordpress.com/2017/02/27/nishimura-et-al-2017/

この研究では,上限を決めるというより,6コマの絵描写を6文で書くよう指示した場合と,そのような制限をつけなかった場合を比較しています。したがって「◯文以内」という上限をつけたわけではありません。よって,上限をつけた場合も同じようなことが期待できるとは限らないという点には注意が必要です。

入試問題へそのまま応用できるというわけではないが…

文数の下限ではない指定という方法が,入試問題の形式として応用可能かというとあまりそうは思っていません。ただ,文数の制限という操作は必ずしも流暢さを引き出す目的ではなく,複雑さを引き出すことにも応用できるのではないかという示唆が上記の研究にはあると思っています。

課題として,それなりに内容的な分量を求めるように工夫すれば,5文以内という制限よりも短い文数で書くことを難しくすることはできそうです。それを例えば2文とかで書いていた場合には,内容的な点でのタスクのゴールを満たしていないということで減点することができます。そして,同じ文数でも…and…but…のように等位接続詞で文をつないでいるのか,Even though…,…のような従属節を使っているのか,the places where the students can learn…のように関係節を使っているのかで,文法知識の発達段階をみることができそうです。もちろん,節だけではなく,節を句で表すことができるかどうかというのも複雑さを上げるという意味ではポイントになります。ただし,特に主語位置でのnominalizationは文理解がしづらくなるので要注意と言われることもあります(https://owl.purdue.edu/owl/english_as_a_second_language/esl_students/nominalizations_and_subject_position.html)。

また,埼玉県入試問題のように,最低ラインがあるような場合でも,うまく比較できれば有益な知見を生み出すこともできるかもしれません。

例えば,3文という最低ラインの作文と,5文という最低ラインの作文を比較することを考えます。この時,もし産出される文数が減るのであれば,そのときに1文の統語的複雑さはどうなるのか,また,そのときにどのような手段で複雑さをあげるのか,というのは面白い観点になり得ます。もちろん,作文で求められる課題があまりにも異なっていると比較としての意味はなしませんが。

おわりに

この記事では,文の数を制限する(下限or上限)を設けるという操作と,それがどのような言語産出を誘発するのかということについて考えてみました。私はこの記事で,「複雑さ」とか「統語的複雑さ」といった用語を割とゆるく使いましたが,それが一体何なのか,そしてどういった指標でそれを捉えるのかといった問題は,それだけで本1冊が書けるくらいの研究領域になっています。よって,あまり安易にこの分野に足を踏み入れると危険ではあるのですが,文数の制限と言語産出というのは,教育的示唆にも繋げやすいかなと思うので,ライティングに興味のある院生さんがいたらぜひ掘り下げていってもらいたいなと思ったりもします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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