オンライン授業での「顔出し問題」(2)

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前回(といっても正確には2つ前の記事)の記事の続きです。オンライン授業で,zoomみたいな同時双方向型でやるときに,カメラをオンにしないといけないという話への反論みたいなところです。前回の記事では顔出ししない理由や,不正についての私の考えを書きました。今回は,前回書ききれなかったコミュニケーションの問題について書きます。

まず前提として,コミュニケーションは顔が見えてなんぼだみたいなのがあるみたいなんですよね。そのこと自体については否定しないし,私もポッドキャストの収録なんかをやっているとやっぱり相手が見えない状態で,声だけでコミュニケーションするのって難しいなと思うことはよくあります(特に3人以上の場合)。ヒトのコミュニケーションは非言語的なものも含まれますし,それが重要な役割を担うことは否定しません。「顔が見えないようではグループワーク時にコミュニケーションが取りづらい」というのもそれ自体はそのとおりだと思います。

この記事では,むしろその状態を逆手に取って授業を構成するのもアリなんではないか,顔出しをしない(できない)からこそ教えられることもあるのではないか,ということを考えてみたいと思います。

何が顔出しコミュニケーションを円滑にするのか

私達は,ジェスチャーだったり顔の表情だったり,そういう非言語的な情報も使ってコミュニケーションしています。例えば1対1の状態で考えても,アイコンタクトでいろんなことを伝えられますし,複数人のやりとりのときに顔や体をある特定の人に向けることで,「あなたの話を聞く態勢です」というメッセージになったりもします。そうやって,相手が見えている状態と見えていない状態のコミュニケーションで何が違うのか,顔が見えないとやりとりしづらいと感じるのはなぜかを考えてみるというのも,大事なことなのではないかなと思います。普段の授業だと,コミュニケーションをメタ的に見るのって意識してもなかなか難しいと思います。今の状況ならむしろ,「顔出し」しないとなんかやりにくい,みたいなことをきっかけにして,コミュニケーションを考えさせることができるように思います。

顔出ししないからこそ言語でのやりとりが大事になる

これは私の個人的な考えですが,顔が見えない状況だからこそ(これはテキストチャットでも当てはまると思いますが),言語というツールしかない状況でのコミュニケーションを円滑に進めるためには,言語で伝える情報というのは普段以上に大事になってきます。そう考えると,いつもは非言語的な情報に頼ったコミュニケーションでごまかせた部分がごまかせなくなります。だからこそ,言語コミュニケーションのスキルを今磨いておけば,それはきっと対面のやりとりをも円滑にすすめることに役に立つはずだよと言ってあげたら,顔出ししない状態でうまくコミュニケーションを成立させることに意欲的に取り組ませることもできるのではないでしょうか。

非言語的情報でのやりとりを言語化しないといけない

私がポイントかなと思うのは,非言語的な情報を言語化できる(する)ことです。わかりやすい例でいえば,相手が何かを言ったとき,眉間にシワを寄せて少し首を横に傾けたりすることで,「話が理解できてません」というようなことを伝えていたとしたら,それをはっきり言わないと表情が見えない状況では相手には伝わりません。じゃあ,ということでそれをどう伝えるのかが次に問題になります。

I don’t understand.

I don’t know

I’m sorry but I don’t think I’m following you.

What did you say?

Sorry?

Could you say that again?

Excuse me, can you repeat what you just said?


どの言い方が相手にどんな印象を与えるのか,相手に何を要求しているのか,そういう言葉の機能的な面に注意を向けさせることができるように思います。そして,それって対面のやりとりだと結構おざなりになってしまうというか,あまり意識しなくてもなんとかなってしまう,無意識になんとかしているようなものでもあります。しかしながら,言語のみのコミュニケーションであれば,その言語が持つ機能的な側面を意識せざるをえません。

そして,そこでの失敗だったり,コミュニケーション・ブレイクダウンが原因となって発生する意味のやりとりもまた,言語習得上重要な要素がたくさん含まれることになるでしょう。

ほかにも,ターンテイキングも普段より難しくなることが予想されます。ビデオチャットは若干の時差がある場合もあり,それが原因で同時に話し始めてしまうというようなこともよくあるかもしれません。ただ,そういうことがまったくない状態であったとしても顔が見えないとターンテイキングはとても難しくなります。顔が見えていれば,相手が話し始めるのは口元を見ていればある程度わかります。それがないと,1対1であってもどのタイミングでこちらが話し出せばいいのかは結構難しい判断が伴います。「あ,少し間があいたからいまだ!」と思って話しだしたら,実はまだ相手は話の途中だったり,一区切りついて新しい話題を出してくるかもしれません。また,3人以上になると,「割って入る」のも難しくなります。どうしても,誰かと誰かがやりとりをしているのを聞いているばかりになってしまい,自分が会話に参加するのが難しくなるわけです。顔が見えていたって難しいわけですから,顔が見えていなかったらハードルは余計あがります。このようなことを避けようとすると,明示的なターンの移行を推奨するのもひとつの手かもしれません。意見交換だったら,自分の意見を言い終わった後に,”That’s what I think.”のように終わりだとわかるようなセリフを入れたり,あるい言い終わったら”What do you think, Ann?”のように誰かに必ず振るようにしたり,という工夫です。

こういうのにあまりに縛られすぎると本来の会話のダイナミクスみたいなのが失われるような気もするので,それは難しいところだったりします。ただ,普段そこまで表面化しないようなことが,顔が見えないからこそ表面化する,そのことは実はコミュニケーション上指導する意味のあることをたくさん含んでいるように思われます。

おわりに

この記事では,オンライン授業において「顔出し」しない,つまり顔が見えない状態でのコミュニケーションは語学の授業においてマイナスの影響しかなく,良い授業を行うためには取り除かなければいけない問題なのかということを考えました。私の考えは,むしろ逆で,その状態だからこそコミュニケーションとか,言語の機能的側面をメタ的に考えるいい機会になるというものです。そしてそれは,実は通常の対面授業ではあまり扱われてこなかった,だけれども言語教育上は意味のあることなのではないかなと思っています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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