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「知っている」事の影響を排除するための2つのアプローチ

思いついたことを書き留めておくだけのメモ記事です。粗いところもあるかもしれませんがご容赦ください。

「狭義の」(文法の)第二言語習得研究が目指していることは,母語話者が持っているのと同じ知識を第二言語学習者も身につけることができるのか,できるとすればそれはなぜか,できないとすればそれはなぜか,というのが分野の抽象的で大きな問いであるというのがざっくりとした私の理解です。

で,この問いに迫ろうとしたときに問題となるのが,いかにして「知っている」ことの影響を排除するのかなという点です。母語話者は基本的には言語の規則を意識的には知らない(説明はできない)という状態で,でもある法則に従って規則的な振る舞いをするわけですよね。その規則的な振る舞いを言語理論で説明しようというわけです。そういうことを見ようとすると,学習者が意識的に知っていること(言葉で規則を説明できること)を対象にしていては意味がないじゃん,ということになります。知っているだろうよ,というような現象を対象としている限り,「知っている」からできるという可能性を排除することができません。よって,習っているはずもないのに母語話者と同じような振る舞いを見せる現象があるよ,とか,あるいはそれが第一言語によって同じような振る舞いを見せたり見せなかったりするよ,というような方向性で研究をデザインしていくことになります。そして,それを生成文法の理論から予測していこうとすると。生成ベースの第二言語習得研究をやっている人たちの基本的な考え方はそういうことなのかなというのが私の個人的な印象です(もちろんそうじゃない人もいるとは思いますけれど)。

一方で,SLAの初期からずっとSLA研究者が関心を持ち続けてきたことは,「知っている(=規則は説明できる)のにも関わらず,産出などをさせると間違いが頻繁に起こってしまう」という第二言語学習者に典型的な現象についてどのような説明を与えるのか,ということです。この関心を説明するために生まれたのが,明示的・暗示的という2つの知識源を仮定する考え方でしょう。つまり,知っている=明示的知識はあるけれども,産出などの課題で主に使用されると考えられている暗示的知識が不十分であるために,誤りが生じてしまうというようなロジックです。この考え方でいくと,そもそもの出発点が「知っているのにできない文法項目」(典型的なのが三単現の-s)の振る舞いについての説明を与えることになります。よって,知っていることの影響を排除しようとしたときに,「習っていないであろう項目を対象とする」という理論ベースの考え方は採用されえません。そこでどうなるかというと,測定の方法としてできるだけ「知っている知識」が作動しないような課題を用いるというアプローチを取ることになります。文法性判断課題に時間制限をつけたり,elicited imitationを使ったり,その後の反応時間パラダイム(自己ペース読み課題やword monitoring課題)や視線計測,そして脳系の測定具を使うというように,測定具によって「知っている」ことの影響を排除しようとしてきた,というのがもう一つのアプローチとしてあるのかなと考えています。

私も最初の関心は後者のアプローチにあり,どうすれば明示的知識の干渉を抑えた知識の測定ができるのか,という点にありました。ところが,それでは拉致があかない部分もあります。明示的・暗示的知識系の研究の重大な欠陥だと思っている部分で,それは,「意識的かどうか」についてを直接的に測定してこなかった(できなかった)という点です。反応時間や視線計測というパラダイムを用いたとしても,何らかの反応の違いが観察されたときに,それが「おやっ?」という意識にのぼるレベルの知識を使ったから反応時間や注視時間が長くなったのか,はたまた自分では全く気づいてもいなかったけれどもそうなってしまったのか,については測定していませんでした。よって,暗黙の了解として「反応時間や注視時間の条件間差は無意識なものである」だとか,「因子分析したら文法性判断や誤り訂正課題とは違う因子にローディングするからと自己ペース読み課題や視線計測で測られているものは暗示的知識であるのだ,みたいな想定をしてきたんですよね。それってなんかちょっとそこを当然のことのように受け入れちゃってもいいのかしら。という疑問が生まれてくるわけです。そういうこともあって,私が博士後期課程時代に扱ってきた文法現象は(もちろんこれは草薙さんの影響を大いに受けているのですが),どちらかというと前者の「知っているはずもないような文法」を対象にしているものが多くなっていきました。今必死にディスカッションを書いているthere構文の数の一致 (当時はこれも明示・暗示に当てはめようとしてたんですが今は違う方向性で書こうとしてます)だったり,tough構文の研究  なんかはまさにそういうことだったと言えます。conceptual numberの研究(これは言語習得よりは文処理ですが)も,「そんなことは習っているはずもないけどなんかガーデンパス回避しちゃう」というような話でもあります。

別にどちらがいいとか悪いとかいうわけではないのですが,同じように第二言語の文法習得を対象にしている研究で,「知っていることの影響をできるだけ排除したい」という目的は共有していたとしても,そのときに知っているはずもない現象を対象とするのか,はたまた当然知っているだろうというような現象を扱って測定具の工夫によって知っているという知識の干渉を極力抑えるというアプローチに行くのか,そういう違いが出てくるのは結構興味深いことなんじゃないかなぁということを考えたのでした。

もちろん,これはただの思いつきなので,そもそもの前提が間違っているとか,2つのアプローチは別に同じ方向を向いているわけではないとか色々あるかもしれませんが,こういう整理の仕方ってどうですか?というような投げかけ的な記事でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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文法知識の手続き化の謎(Sato and Kimのレビュー)

下記論文を読んでちょっとしたレビューというか考えたことを書き留めておこうと思います。

Sato, M., & McDonough, K. (2019). Practice is important but how about its quality? Contextualized practice in the classroom. Studies in Second Language Acquisition. Advance Online Publication. doi:10.1017/S0272263119000159

ざっくりとした内容は,WH疑問文の習得について,教室内で教師とのやりとりという形での”practice”を5週に渡って繰り返していくと,当該項目の手続き化が起こるかどうかという話です。従属変数は正確さと流暢さという2つの側面。それから,練習セッション前の段階での宣言的知識が,練習での伸びとか練習後の正確さを予測するかというのも研究課題です。

宣言的記憶,手続き的記憶,手続き化

本当は,この辺の用語の説明省こうと思っていましたが,やはり自分の理解と論文でどういう捉え方しているかを照らし合わせたほうがいいと思ったのでこの節では用語の理解の確認をします(そもそもそんなものが必要な概念ってなんなのってなりますけど)。論文に書かれている内容自体に興味があるという方は読み飛ばしてください。

宣言的記憶(declarative memory)は,規則に対する(または規則そのものの)知識であると言われています。キーボードのタイピングの例(嫌いな人は嫌いな例ですけど)でいえば,キーの位置の規則といえばいいでしょうか。または,どのキーをどの指で押下するかという知識と言ってもいいかもしれません。タイピングに慣れないうちは,意識しながらキーの位置を確認して押下しますし,スピードもゆっくりですよね。それが,タイピングの練習を重ねるに連れて,だんだんキーの位置がわかってきて,指の使い方も慣れてくるので押し間違いが減ってスピードがあがると思います。これをスキル習得理論から捉えれば,宣言的記憶から手続き的記憶(procedural memory)に頼った行動に徐々に変化しているということになります。これが手続き化と呼ばれるものです。そして,その状態でさらに練習を続けていけば,キーの位置を確認しなくても「体が覚えている」状態になると思います。いわゆる「ブラインドタッチ」みたいなものができるようになるわけですよね。これが自動化(automatization)です。

手続き化というのはこの論文では,なんらかの行動の正確さとスピードが向上することとであると解釈していいと思います。冒頭のイントロでそのような説明がされているので。同じ行動を何度も繰り返す(練習を重ねる)ことによって,ある行動の正確さとスピードが向上するということです。スキル習得理論(Skill Acquisition Theory)はここでいう正確さとスピードの向上というのが,頭の中のシステム自体の変容だと捉えます。つまり,宣言的記憶(declarative memory)に頼った状態から徐々に手続き的記憶(procedural memory)に移行する,これを手続き化(proceduralization)と呼びます。

宣言的知識はあったのか

さて,論文の内容に入っていきます。私がこの論文で一番もやっとしたところは,宣言的知識・手続き的知識というスキル習得理論を理論的枠組として援用ているにもかかわらず,宣言的知識とは何を指すか,そして手続き化とはどのようなプロセスかといったようなことを無視して無理やり結果を解釈しようとしている点です。

まず,知識の手続き化には宣言的知識を持っていることが不可欠です。宣言的知識を持った状態で練習を重ねることにより手続き的知識を獲得し,それが自動化していくというのがこの理論のベースにあるからです。だとすれば,宣言的知識のテストで宣言的知識を学習者が持っていることを事前に確かめる必要があるでしょう(もちろん,実際にテストはやっています)。ここにばらつきがなければそもそも回帰分析もうまくいかないはずなので,ある程度ばらつきがある学習者を対象にするというのはわかります。そうは言っても,事前の宣言的知識テストのスコアの平均値は59%SD25.12です。正規性の逸脱はしていないという報告があるので正規分布だと仮定すると,半分以下しか正答できなかった学習者もいると考えられます(注1)。そして,平均値で59%も決して高いとは言えませんよね。そのようなテストスコアしかなかった学習者は,果たしてどうやって手続き化したのでしょうか。というか,そもそも手続き化できたと言っていいのでしょうか。Wh疑問文の生成にはwhの移動やsubject-auxiliary inversion, 一般動詞の場合はdo挿入もあります。これらが複雑に組み合わさる文法だからこそ,その中のどの部分の知識はあってどの部分の知識はないのかがわからないと,何の宣言的知識があったのかやその手続き化もブラックボックス化してしまうのではないかと思いました。

行われたcontextualized practiceについて

疑問文の産出をある程度コントロールしながら教室内で意味のあるやり取りを,というのはわかります。その中で最大限できることをやったのだということも。ただ,画像とともに疑問詞が一緒に提示されて,それをもとに疑問文の産出が行われたというのはちょっと引っかかります。あくまで”practice”だからと言われたら何も言い返せませんが,コンテクストを大事にするということをauthenticityを大事にするということだと理解して読み進めた私からすると,それが”contextualized”かあという感想になります。結局,疑問文の生成にかなり意識を集中させることが可能であるという状況での口頭産出練習活動ということですね。結果的には,そういった状況で練習を重ね,ある程度その効果があったとしても,最終的に正確性は65%程度にしかならなかったのだというのは結果を解釈する上で重要なポイントでしょう。

それから,宣言的知識の影響を調べる分析では5回のセッションのうちの2, 3, 4が合計されて1と5は省くという処置をしたということが書いてあったのですが,”so as to avoid the independence of observation for the inferencial statistics”(p.13)というロジックがよくわかりませんでした。隔週でタスクの内容が異なるので,これやるとそのバランスが崩れてしまうのではと思いました。まあそこに突っ込むとそもそも複数クラスでタスクの順番のカウンターバランスとか取っているわけでもないので,ここで言われている流暢さや正確さの発達が単純に時系列の変動だけによるものとは言えないでしょう。タスクのタイプやそこで扱われたテーマによる変動も含まれているはずです。

また,対照群の設定もありませんので,研究自体はケーススタディとして扱われるべきものかと思います。「教室環境だから仕方ない」だけでこのあたりの実験デザインの粗さにすべて目をつむっていいわけではないと個人的には思いますので,今後別のデータでも同様の研究が重ねられていくといいのかなと思います。

事前の宣言的知識の手続き化への影響

結果で,練習前に行った宣言的知識のテストスコアは正確さや流暢さの発達を予測しなかったということが言われています。つまり、事前の宣言的知識を測る文法テストのスコアが高ければ高いほど正確さや流暢さが伸びやすい、あるいはスコアが低ければ低いほど伸びないという現象やその逆で高ければ伸びにくい、低ければ伸びやすいというような関係性がみられなかったということになります。このことを、著者らは次のように解釈しています。少し長いですが引用します。

Interestingly, the scores of the declarative knowledge test, administered prior to engaging in contextualized practice, did not predict the extent of the practice effect on accuracy or fluency changes. This result indicates that having declarative knowledge of a grammatical structure may not be related to the development of the procedural system of that structure when practice is considered as the cause of the changes. Accordingly, it could be said that contextualized practice alone facilitates a positive change in accuracy, on the one hand. On the other hand, the result seems to challenge skill acquisition theory in that learners may not need an explicit understanding of a grammatical structure to benefit from contextualized practice. However, in the current study, all learners possessed some declarative knowledge of the target structure. Hence, it is premature to argue that practice alone is sufficient to develop procedural memory of a grammatical structure. What the results suggest is, instead, that the amount of declarative knowledge was not related to the extent to which each learner benefited from practice (p.21).

事前の文法テストスコアとの相関がなかったことは、知識がなくても練習すれば良いということは意味しないという主張です。その根拠として、参加者の知識がゼロではなかったからと言っています。つまり、なんらかの知識は持った状態で練習をすることの意味はあるということです。ただし、どのくらい知識を持っているかは関係ないとも言っています。しかしながら,これは矛盾していると思います。これをサポートするには、知識の閾値みたいなものを想定する必要があるでしょう。つまり,知識がないとダメであり、かつ知識の量が関係ないとすれば、ある一定程度の知識が必要で、その先のレベルの知識は関係ないという想定になるはずです。そうるすと,その閾値とはどこなのか,その閾値が意味することはなにか,が重要になってきます。これを突き詰めると,前述した宣言的知識のテストスコアの解釈や,それが何を測っているのかという問題に再びぶつかるわけです。

まとめ

まとめると,Sato and Kim (2019)はタイトルがちょっと煽りすぎでは?と思います。確かに,practiceといっても機械的な口頭産出練習じゃだめだ,もっと文脈依存でコミュニカティブなインタラクションの中での練習でなくては,という主張自体はわかりますし,そのことを文法知識の手続き化という理論的な枠組みを当てはめて研究に落とし込んだのは面白いと思いました。ただ,宣言的な文法知識とはいったい何なのか,そして文法的知識が手続き化するとはどういうことなのか,という部分が分野として確立されたものが提示しづらいところが原因で疑問が色々浮かぶ研究かなというのが個人的な感想です。こういうところに失望して教室SLA研究を「研究」としてやることに対しての意欲を自分は失ったんだなぁと再確認することとなりました。論文を読んでからずっと放置していて公開までに3ヶ月かかってしまいましたが,とりあえず,私がこの論文を読んだ感想はそんなところです。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

 

注1: Rのrnorm関数を使い,n = 34, m = 59, sd = 25.1として乱数を発生させ,その中で50を下回る人数を数えるというのを10,000回繰り返すと,中央値は12人,最小値は3人,最大値は20人でした。

タスクタイプとengagementの関係

久しぶりに論文の簡単なレビュー的なものを残しておきます。下記の論文です。

書誌情報
Dao, P. (2019) Effects of task goal orientation on learner engagement in task performance. International Review of Applied Linguistics in Language Teaching. Advance Online Publication doi: doi.org/10.1515/iral-2018-0188

ざっくりとした概要

独立変数

convergent task (意思決定タスク)とdivergent task (意見交換タスク)の2種類
 

従属変数

  • cognitive engagement: idea unitとLanguage Related Episode (LRE)
  • emotional engagement: タスク遂行中に楽しんでるかどうか(笑ったりしていると1とカウントされる)
  • social engagement: 相手の発話への貢献(acknowledging, repeating, commenting, developing each other’s idea, or providing backchannels)
 
これら3つの変数は,全体のターン数で割って比率として分析しています。この他にもemotional engagementについては質問紙調査を実施しています。(5項目で10ポイントのリカートスケール)
 
例:
  • I felt enjoyable when interacting and doing the task
  • I felt interested when interacting and doing the task
  • I felt bored when interacting and doing the task (おそらく逆転項目)

詳細に見たかった部分

 
どんなタスクをやったのかというのが一番気になるところでしたが2つのタスクはそれぞれ次のようなものです。
 
 
意思決定タスク
自分たちの通う大学の問題点をいくつか挙げ,それに対する解決策を提示する。タスクの最後に,問題点と解決策をリストアップしてレポートを書く。問題点と解決策については合意が必要。

意見交換タスク
ペアの相手と共同経営することになった新しいビジネスについて,オンラインショッピングのシステムを作るか,実店舗での店頭販売をベースにするかについてのディベートタスク。タスクの最後に自分の主張の根拠となる理由と,相手の主張に対する反論をリストアップし,それをもとにしてどちらが良いかについてのレポートを書く。論文中には記されていないが,おそらく学習者はランダムにどちらかの立場に立って議論するように求められ,最終的なレポートについても決められた立場から主張を述べなければならないことになっている。2つのタスクの比較については下記の表参照。

 

 
 
Outcome optionの”opened outcome”というのは,答えが決まっていない(学校の問題点や,オンラインショッピングのほうが良いと主張する理由等については学習者の考え次第)という意味で,「誰が犯人かを推測する」,「バラバラの物語の一部を正しい順序に並び替える」といった答えが決まっている問題解決型のタスクとは異なるという意味(だと思われます)。
意思決定タスクは合意に向かう議論になりすが,意見交換型タスクは自分の立場を主張し,相手に反論するだけで,合意形成は求められないというのが大きな違いです。この2つのタスクについて言いたいことがあるのですが,とりあえずそれは後で述べるとして,結果のまとめとして下記の表を見てください。
 
 
 
 
2つのタスクを比較して,統計的な有意差が認められたのはcognitiveとsocialのみでした。emotionalについては,タスク中の発話に基づく分析も,質問紙に基づく分析(本文中のTable 3)もともに統計的な有意差は認められず。この結果は,goal orientationがdivergentかconvergentかでタスク中のやりとりに違いが認められるということを示すとともに,Pica et al. (1993)で言われているように,divergent型の意見交換型タスクは学習者のインタラクションを促進するかという観点において”least effective”であるということを示していると著者は結論づけています。
 
 
LREについては,意思決定タスクのほうが高いという結果が出ていますが,そもそもの回数が少ないので結果の解釈には注意が必要だと述べられています。意思決定タスクでも,1回のタスク中(10分)で平均して2.44回しかLREは出現していません(しかもSDが平均値に近いくらいの値なので,0回というペアもかなりあったことが推測されます)。
 
 
Emotional engagementについては,goal orientationが違うことはあまり影響しないという結果でした。意見交換型のタスクでも,質問紙の結果では10段階で平均8.2(意思決定タスクは8.45)ですから,どちらのタスクもemotional engagementは高いのだろうと思われます。ただし,どちらもSDが5を超えている点には注意が必要になります。
 

タスクの問題点

意見交換型タスクが意思決定タスクに劣ったというのは,予め立場が決められていたことが問題なのではないかと思います。自分が与えられた立場に同意できればともかく,ディベートの場合必ずしも自分の意見と一致する立場で主張を述べなければならないことも多く(コレ自体はcritical thinking的な意味で言えばそこまで問題とも思わないが),それがengagementを低くしてしまったという点もあるように思います。ディベートはどちらの立場からも意見を述べられるようなトピックを扱うのだと言われたらそれはそうかなと思いますが。
 
 
また,意思決定タスクが自分たちの学校についての問題であるのでトピックに対する親密度も関係があったのではないかという点も指摘ができるかもしれません。モノローグタイプのタスクではありますが,トピックの親密度が高いほうが発話が豊かになるという指摘もあります(Qiu, 2019)。
 
 
意見交換型はビジネスの問題で,普段からこの問題に関心がある学生だったのかどうかがわかりません。ビジネス系の学生であれば背景知識も豊富でたくさんのidea unitが出てきたでしょうけれど,そうではない場合にこの問題を語るのは難しい気もしますし,英語の熟達度的にもこちらのほうが専門的な用語が多く必要となってくるのではないでしょうか。もっとも,p.7のセクション2.4のすぐ上のパラグラフで
 
With regard to practical reasons, both tasks were included in the learners’ syllabus and course materials, and the teachers of the participants reported to have used them frequently in their previous teaching activities. The two task topics (university issues and shopping) matched the themes covered in the learners’ theme-based course materials. To reduce a possibility that task topic might have impacted learner engagement, the two topics were selected based on the informal survey that reported university and shopping topics as the learners’ two most favorite topics.
 
という記述はあります。査読者に指摘されたのか,あるいは最初から書いてあるのかは定かではありませんがトピックの親密度という観点についてはディフェンスしてあります(つまり,著者もそういうことを言われるだろうという認識はある)。
 
 
とはいえ,あえてトピックを変えなくとも学校の問題点と解決策というトピックに固定して,意思決定型は合意を求め,意見交換型はおのおのが思う問題点と解決策をペアでシェアするという構成でもよかったように思います。というか,そちらのほうが「意見交換型」としては個人的には問題なく受け入れられます。ただし,debateという相手への反論が要求されるようなものでなければ,今回観察された以上に意思決定型との差が大きくなってしまうかもしれないとも思います。debateという形式を取ることで,相手の言ったことに対してただ単に「へー」で終わらせることができなくなっているという点はあるでしょう。そうした点で,合意を求めずともインタラクションが活発になるように仕組むための工夫がdebateを持ち込むという結果になったのかもしれません。
もう一つ個人的なことを言えば,ディベートという形式を取らない私が考えているような意見交換型タスクであれば,多様な意見がかわされればかわされるほど盛り上がることが見込まれるので,2人よりは3人,3人よりは4人というグループ構成で行ったほうが議論が盛り上がるのではないかと思います。1人で様々な角度から物事を分析的に考えて意見を提示できるような学習者同士のやりとりであれば2人でも議論は大いに盛り上がるでしょうけれど,大学生1年生や2年生でもそうしたことが2人で成立することがそこまで一般的に当然として考えられるとは言えないと思うからです。
 
 

この論文のポジティブな点

とまあいろいろ言いましたが,この論文の著者の狙いとは違うかもしれませんが,この論文を自分がポジティブに受け止めている点もあります。それは,タスクに関わる変数ではなく,タスクのタイプを主題として取り上げていることです。もちろん,上のTable 1のようにタスクをある観点(変数)で見たときに違いがあるということではあるのですが,実際にはdivergent-convergentという2つの異なるタイプのタスクを比較しています。これまでのタスク研究は,良くも悪くもタスクを操作する際の要因に着目して細かく検証することが多かったように思います。それも意味のあることで,準備時間の有る無しであったり,タスクの難易度を操作してみたり,というのは教育的示唆という観点でも有益でしょう。これらの要因は教師が操作することができるわけですから。一方で,現実的にタスク・ベースのコースを作ろうとシラバスを考え始めたとき,そのベースになるのはタスクを調整する変数ではなく,どのようなタイプのタスクにどのような順番で取り組ませるべきなのかということになるのではないかと思います。直感的に,意思決定タスクと情報伝達タスクを比較したら前者のほうが難しいから情報伝達が先にくるべきだろうのようなことは考えられます。ただし,タスクタイプの観点から見て,タスクの難しさやその要因を整理するということについていえば知見の蓄積がまだまだ乏しいように思います。

私が今関わって作っている教材もタスクタイプごとに整理していますが,タスクタイプという切り口は直感的に捉えやすく,異なるタスクの比較が見えやすくなります。そういうタスクのタイプという要因を正面から取り扱っているという点で,この後に続く研究が楽しみになってくるかなと思っています。ただし,従属変数のengagementについてはもう少し何か他の変数がないのかなということを思ったりしています。

おわりに

タスク系に正面からタックルした研究というのをなかなかできていないので,こういう論文を参考に何かできないかなと考えたりしています。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

参考文献
 
Pica, T., R. Kanagy and J. Falodun. 1993. Choosing and using communication tasks for second language instruction and research. In G. Crookes and S. M. Gass (eds.), Tasks and language learning: Integrating theory and practice, 9–34. Clevedon: Multilingual Matters.

 

Qiu, X. (2019). Functions of oral monologic tasks: Effects of topic familiarity on L2 speaking performance. Language Teaching Research. Advance Online Publication. doi:10.1177/1362168819829021

 

専門領域の魅力

前回の記事で自分が専門としている領域の話を書いたということをここで宣伝しました。実は,私の所属先のウェブサイトでも,同様の記事がアップロードされました。

教員が語る専門領域の魅力

上記のリンク先には,私が所属している関西大学外国語学部の教員が,それぞれ自分の専門領域について語るページがあります(私のページはこちら)。『英語教育』の記事では,ある程度英語教育研究やその周辺分野についての背景知識もあるだろうと想定される読者向けに書きましたが,上記のリンク先はどちらかというと関西大学外国語学部への入学を考えている方向けかなと思います。もちろん,在学生がゼミを選ぶ際にも参考として閲覧しているかもしれません(私はまだゼミを担当していませんが)。

前述の通り,2つの媒体は想定される読者が違います。したがって,学部のウェブサイトには『英語教育』の記事とはまったく違う話を書きました。ざっくりいうと,意識的・無意識的知識(あるいは明示的・暗示的知識)の話です。執筆にあたり,担当授業に関連付けてほしいというリクエストもあったので,Task-based Language Teachingの話をしようかとも思いましたが,私としてはTBLTはあくまで実践者で,現段階ではそれについて研究しているとは思っていないので,「専門領域」の話ではないと考えてやめました。

英語に限らず,また英語教育に限らず,たくさんの専門家が関西大学の外国語学部にはいますので,興味がある方はぜひいろいろな先生の語りを読んでほしいなと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

雑誌『英語教育』3月号に記事が載りました

大修館書店から出ている『英語教育』という雑誌の3月号に,「言語における数(number)の不思議」というタイトルの短い記事が載りました。英語教育研究最前線(Cutting-edge research)というリレー連載のセクションで,私が博士論文研究で扱ったテーマについて書いています。「英語教育研究」というセクションでありながら,英語教育とはあまり関係のない文処理の話です。

自分で言うのもあれなんですが,私の対象としているものは非常にマニアックであまりウケがいいものではないのですが,そういう研究でもこういう媒体でできる限りわかりやすく書くことも自分の仕事だという思いで書きました。

普段は『英語教育』を買わないという方も,お手にとって読んでいただければ幸いです。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

タスクにおける”sub-goal”という概念

はじめに

下記の本を月例の研究会で1章ずつ読んでいます。

Recent Perspectives on Task-Based Language Learning and Teaching

Ed. by Ahmadian, Mohammad / García Mayo, María del Pilar

この本全体については,Cognitive-Interactionist, Sociocultural Theory, Complexity Theory, Pedagogic and Educationalという4つのperspectivesからなる12章の本で,個人的には通読するよりも気になった章だけつまみ食いするという読み方がいいかなと思います。正直言ってあまりおもしろくない(質があまり高くない)チャプターも結構ありますので。

 

第7章がおすすめ

この本の第7章は,Martin Bygateが書いた”Dynamic Systems Theory and the Issue of Predictability in Task-Based Language: Some Implications for Research Practice in TBLT”という論文です。タイトルにDynamic Systemsと書いてありますが,そこまでDSTを推しているということではなく,「タスクってさ,何かやらせてみてもどんなことが起こるかわからないしリアクティブに教えるのがいいっていうけどやっぱそういうの不安だもん」みたいな言説について,predictabilityが一応ありますよっていうことを言うための理論的基盤としてDSTを持ってきているという印象です。それをベースにして,ケーススタディ的にデータを見てみるというようなのがこの論文の流れです。

この章を読むまでは,「この本は失敗だったかもしれない」と思うほどがっかりさせられるようなものが多かったのですが,この第7章は面白いなと久しぶりにワクワクしました。もちろん,ちょっとそれはどうなのと思うところもあるにはありました。ただ,それを差し引いても面白かったです。

 

何がそんなに面白かったか

一言で言えば,この記事のタイトルにもしている”sub-goal”という概念を導入している点が個人的にはこの論文で一番inspringだと思ったところです。示しているデータはおそらく過去の研究のものでしたし,特に分析をしっかりしているということではないのですが,それでもこの”sub-goal”というものはTBLTの研究でいろんなことができそうだなと思えた,そう思わせてくれるような内容でした。もちろん,実践においても示唆があることだと思いました。

sub-goalとはなにか

TBLTをご存知の方には馴染みのあることだと思いますが,タスクにはゴールがあります。spot-the-difference taskなら2つの絵の間にある違いをすべて見つけ出すことがゴールですし,picture description taskなら絵(または写真)を見ずに口頭で描写し,もとの絵(や写真)にできるだけ近いものを完成させるというのがゴールになります。この章で例として用いられているタスクは,6コマ漫画を6人で分割して1人が1コマずつ持ち,見せ合わずに正しい順番に並び替えるというものです。この場合,「正しい順番に並び替える」というのがゴールになります(注1)。

Bygateが言っているのは,このゴールに向かう前の段階にいくつかのphaseがあるということです。どんなphaseかというのを説明する際にBygateは,pragmaticとかdiscourseとかいう言葉を説明の際に使っています。少し長いですが,このphaseについて説明している箇所を本文から引用します。

A phase was defined in terms of the pragmatic coherence of a stretch of discourse which while not in itself achieving the overall task goal, likely contributed to achieving a useful enabling sub-goal. For instance, descriptions of the individual pictures in random order would contribute to the sub-goal of sharing information about the pictures, but would not themselves achieve the overall goal of sorting out the sequence and telling the story (even if by chance the students did actually provide the descriptions in the exact sequence of the narrative). Similarly, discourse during which students exchanged information about what they thought was going on in their respective pictures could not be interpreted as ‘telling the story’ either. Where students spent time suggesting potential sequencing of the pictures (still without seeing them), possibly accompanied by brief justifications, this kind of talk too contributes to a potentially useful subgoal, but still does not constitute the ‘telling of the story’. Hence the macro-purposes of the different discourse phases were inferred in relation to the pragmatic criterion: what are the speakers jointly trying to do at this point? Identification of phases enabled an assessment of the trajectories that the groups followed (p.155).

上の引用中では,”(sorting out the sequence and) telling a story”というのがタスクの最終的なゴールで,そこに到達するために有効なやりとりや言語行為をphaseとしています。複数コマ漫画の並び替えならば,まずは個々人の持っている写真を描写することからスタートすると予測されるので,それが一つのphaseになるというわけです。そして,自分の写真とグループメンバーの写真についての情報を全員が持った状態で,それぞれの写真に描かれている情報の違いを見つけることになります。そして,「いったいどんなストーリーなのだろうか」という話をしながら前後関係を特定していくことになると予想されます。これらの段階もすべてphaseであると。そして学習者はこういった複数のphaseを経て,最終的なゴールに辿り着くというわけです。

Bygateは,複数コマ漫画並び替えタスクでは次の5つのphaseがあるとしています。

  1. Description
  2. Comparison
  3. Interpreting gist
  4. Sequencing
  5. Narrative

ちょっとなんでだろうなと思ったことは,タスクの特性などから予測してこのphaseを導出したのではなく,実際の発話の書き起こしを分類してそれぞれのラベルを貼ったという点です。その後に,結果の解釈として,「複数のグループでタスクをやらせたけど,ほとんどのグループのタスク遂行中の発話に5つのphaseが見られた」みたいな議論に持っていっているのです。そして,このことから学習者たちのやりとりは予測可能なtrajectoryを通ってゴールに向かうという話につなげています。もともと発話データから導出した概念なのだから,導出に用いたものと同じ発話データにphaseが見られるのは,複数グループで見てみたとはいえある程度当たり前なのでは…という話です。さらに,もし仮にそこに違いがあり,違うグループでphaseの種類や用いられた数が異なっていたとすれば,最初に設定した5つのphase自体がそもそも分析に役に立たない枠組みだということになりますよね。この点については謎です。

また,個人的に気になったのは,最終的にタスクを達成できたかどうかと,用いられたphaseの数自体には関連が見られなかったという点です。例えば,分析している5つのグループのうちで3のgetting gistが見られなかったグループが1つ,5のnarratingが見られなかったグループが1つ,2のcomparisonと4のsequencingが見られなかったグループが1つという記述がありますが,この3つのグループはいずれも最終的なゴールである並び替えには成功しているというのです。この部分については,例えばcomparisonがなかったグループはもしかするとズルして絵を見せあっていたのかもしれないというような考察がなされています(このグループは終わるのも早かったらしいです)。しかし,もし仮にタスクの最終的な達成と何も関連がないのであるとすれば,このsub-goalという考え方自体がそんなに大事なものなのか?という疑問も湧いてきます。

さらに,言語使用面についてはphaseによって特徴的な部分が見られなかったと考察しています。つまり,同じphaseなら同じような言語表現が用いられるというようなことはなく,同じcomparisonというphaseでもグループごとに様々な表現を用いて行っていたと書かれています。ただし,”linguistic domains“については予測が可能かもしれないとしています。このdomainの例として,下記のようなものがあがっています。

the language for expressing impressions, inferences and approximations; the language of description and for identifying similarities and differences; the language for expressing motivations and consequences; the language for sequencing; and the language used for checking understandings (p. 160).

素人考えでちょっと微妙だなと思うのは,このdomainというのはほとんどphaseのラベルと同じようなものなのではということです。会話分析みたいなことに明るいわけではないのですが,ここまで抽象度があがってしまうと,それが予測できたことで何に活かされるだろうかということは疑問です。

 

sub-goalという考えのなにがそんなに大事?

さて,なんか,sub-goalってなんか別にそんな大事じゃないじゃんと思っておられる方もいるでしょう。私もここまでは批判的に書いてきています。ここからは,「そうはいっても結構色々なところに通じる概念じゃないかな」ということを書きたいと思います。

先ほど,「タスクの達成とは関係ない」という議論がされていると書きましたが,もし仮にそれがそうだったとしても,教室場面での教育介入を考えた際にはsub-goalという概念は大事だと思います。まずは,授業の準備段階でsub-goalは役に立ちます。

 

タスクの作成・計画段階で有益

これはタスクに限ったことではないのですが,どのような言語活動を仕組むにせよ,教師は活動を考え,その手順を構想し,最終的にどこに辿り着くことを目指すのかを思案しますよね。その際に,活動に取り組ませたときにどのようなことが想定されるかを全く考えない教師はいないと思うのです。「きっとこんなことが起こるだろうな」とか,「こういうことになったらどうしようか」などと考えながら,事前に準備しておいたほうがよいことについては仕込んでおき,指示の与え方や順序を工夫したほうがよさそうならそのように対策を打っておくはずです。このとき,例えば事前にタスクのsub-goalがわかっていれば,学習者が起こす行動の予測がつきやすくなるといえます。冒頭にも書きましたが,タスクは(特にやりなれていないものをやる場合は)出たとこ勝負の部分もあり,何が起こるかわからないから事前にあれこれ教えてこちらの想定内でやってほしいという教師の思いも理解はできます。しかし,今後sub-goalという枠組みで様々なタスク遂行中に発生するsub-goalsが明らかになってくれば,「このタスクをやる際にはおおよそA, B, C, Dのような4つのphaseを通過すると考えられます」みたいな提案ができますよね。これが事前にわかっていれば,自分の教えている学習者との兼ね合いで準備が必要な部分や,そのタスクに取り組む前にやらせたほうが良いことを前時にやっておくというようなことができるのではないでしょうか。もっと言えば,sub-goalが目標になるような”sub tasks” を用意して,それらのタスクに取り組ませた後のもっと大きなチャレンジとしてsub-tasksが複合的に必要となるような別のタスクを用意するというようなことも考えられます。このように,タスクを構想したり,授業の計画を立てたりする際に,sub goalsが明確になっているということは大事だと思っています。

 

タスク遂行中の介入指導で有益

次は,実際に教室場面での指導において,sub-goalがわかっているということが役に立つ場面を考えたいと思います。あるタスクを与えて,学習者がそれに取り組んでいるとき,なかなかうまく言っていないことに教師が気づいたとします。例えば,複数コマ漫画の並び替えタスクで沈黙してしまっているグループがあったとしましょう。このとき,どのように促せばタスクのゴールに向かえるでしょうか。このときも,sub-goalはヒントになり得ると思います。例えば,5つあるphaseの序盤でつまづいているようならば,「まずは全員の持っている絵について描写して,自分の持っているものと他のメンバーの持っている絵の違いがどこにあるかを特定してみよう」という指示ができると思います。つまり,descriptionとcomparisonというsub goalを明示するということです。その先の,みんなの持っている絵の違いはわかったけど,そこから先に進めないというグループがいたら,「全員の絵の情報を統合して,ストーリーを考えてみよう」という指示も可能でしょう。もちろん,phaseは順番にこなさなければいけないということではありませんが,指針としてその場で与える分には問題ないでしょう。

そんなめんどくさいことしなくても,「じゃあ最初から,『まずは描写,そして比較,あらすじの解釈,並び替え,ストーリーの完成』というphaseをすべて提示してそのとおりにやらせればいいではないか」という意見もあるかと思います。学習者のレベルによってはそうした道筋を示すことも必要になってくるかと思いますが,Bygateは,phaseに完全な順序があることや,まったくoverlappingがないということを否定しています。

it is important to note that the phases do not imply total predictability. For one thing, the phases sometimes occur more than once in a single transcript, with students going backwards and forwards between, say, finding the gist and trying out a sequence (p.160).

また,「たとえsub goalsが明示されなくとも学習者たちは多かれ少なかれphaseを経てゴールに到達する(=予測可能性がある)」ということを言っています。つまり,phaseは与えられなくてもある意味でタスク達成に向かう試行錯誤の中で創発するということですね。それを手助けしてやることはあったとしても,最初からこの通りにやりなさいというのはtoo much interventionかなと個人的には思います。「正しい手順」や「理想的な手順」のようなものがあると学習者が思ってしまい,それに囚われすぎてしまう可能性があるからです。例えば,2. comparisonからいきなり4. sequencingに入ることも十分にありえることです。「まって,私の絵ではりんごは食べかけで,Aくんの絵ではりんごは丸々1つあるから,きっと私の絵はAくんの絵よりあとにくると思う」のような発話が起こることは歓迎されるべきで,「まって順番考えるより先にストーリーをつかもうよ」となってしまっては学習者の自由な発想が抑制されてしまうかもしれません。よって,sub goalを与えてそれに沿ってタスクを行わせることは有効な手立てとは言えません。

つまり,事前に教えてそのとおりにやらせることができるから役に立つというわけではありません。そうではなく,リアクティブな指導がやりやすくなるということです。教師自身がsub goalsを把握した上でタスクを用いれば,そのグループの状況に沿って,またはぶつかっている困難点に合わせてリアクティブに介入を行うことができると個人的には思っています。

事後のフィードバックで有益

sub goalという考えは,事後のフィードバックにとっても有効かもしれません。もしも,時間内にうまく課題を達成できなかったグループがあったとして,そのタスクにおいてsub goalsをいくつ達成できたかという点で見てみると彼らの課題が見つかるかもしれないからです。Bygateの示したデータでは,すべてのグループがタスクを達成したため,「phaseとタスク達成の関係」は完全には明らかになっていません。タスクを達成できなかったグループがいたとして,そのグループがもし仮にすべてのphaseを通過したのにできなかったとすれば,phaseはirrelevantということになります。しかしもしかすると,どこかでつまずいたことが原因でタスクを達成できなかったという学習者がいるかもしれません。絵の微細な点について,描写しなかった(またはできなかった)けれども実はその点が他の絵との違いで,その情報を全員で共有していればタスクが達成できたかもしれないということはありえます。別のケースで,sequencingでつまづいて終了してしまったとします。このときに,follow, precede, come before, come after, first, next, then, before, afterのような前後関係を表す表現がうまく使えなかったので並び替えができなったということがわかれば,その学習者たちに必要なのはこうした前後関係を表現する言語リソースが足りていないということになり,そこがteaching pointになるでしょう。言語面については,varietyが大きすぎて一貫性は見られなかったというのがBygateの結論でしたが,具体的な場面での話に限定すれば指導のヒントにはなるでしょう。

研究への示唆

研究という視点では,このBygateの論文からもう少し発展させた研究が必要だと思います。例えば,他のタスク(意思決定タスクなど)でも同じようにphaseの共通性は高いのかどうかや,同一タスクでタスクの諸条件(複数コマ漫画並び替えタスクにおけるコマの数やグループの人数の組み合わせ)が変わってもphaseに変化はないのか,などが気になっています。

また,Bygateは会話の書き起こしからphaseを導出していますが,そうではなく,教える側があるタスク中に発生すると考えられるphaseを予測し,それがどの程度実際の会話で起こるのかといったこともpracticalな意味で関心があります。

あとは,少し非現実的かもしれませんが,実験的な操作を加えて群間比較するというデザインも思いつきます。たとえば,複数のphaseの中で特定の1つを禁止するような指示を与えてみて,そのグループがどれだけタスク達成に困難を抱えるかを比較することで,タスク達成に寄与しやすい(または必須かもしれない)phaseを特定するというようなこともできるかもしれません。

おわりに

以上,Bygateが提案した,taskのsub-goalという点について,批判的に検討し,その後に,意義があると思われる点についていくつか述べました。やはり,タスクの中身,つまりタスク遂行中に何が起こっているのか,そうしたことを,sub-goalという概念で整理することを試みたことにこの論文の意義があると思います。DSTの枠組みにうまくfitしているかという点についてもやや疑問があったのですが,あまり詳しく批判できるほどの知識を持ち合わせていなかったのでそのあたりはまた別の機会にということにしようと思います。ということで,今回は久しぶりにTBLTに関するお話でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

注1. もちろん,仮にオリジナルのストーリーとは違う順番であったとしても,こちらの想定を超えたイマジネーションで別の順序でも筋の通った物語になるということがあれば,そしてそれを説明できれば,「正しい」順番ではなかったとしてもタスクのゴールを達成したと評価することもできると思います。

 

概念数の処理に関する論文が出ました

下記の論文が,First Viewで公開されました。論文がDLできない方は,著者用のリンクをお送りするのでご連絡ください。

TAMURA, Y., FUKUTA, J., NISHIMURA, Y., HARADA, Y., HARA, K., & KATO, D. (2018). Japanese EFL learners’ sentence processing of conceptual plurality: An analysis focusing on reciprocal verbs. Applied Psycholinguistics. Advance Online Publication. doi:10.1017/S0142716418000450

名古屋大学大学院のD2のときに院生仲間と一緒にやった研究です。初めて国際誌に投稿した論文なので,概要と投稿の経緯を書いて置こうと思います。

概要

ざっくりとした結論は以下のような感じです。

  • 日本語を第一言語とする英語学習者も,英語母語話者と同じようにA and Bという名詞句を概念的に複数として表象していて,その複数を構成する要素にもアクセス可能
  • ただし,the parentsのように複数の構成素が明示的でない場合にはその構成素にアクセスできない(母語話者もできないと先行研究で言われています)

具体的な実験では,次の4条件における下線部の単語単位での読解時間を比較して,aではガーデンパスに引っかかることなく読んでいるという結果になりました。

a. As the mother and the father battled the child played the guitar in the room.

b. As the parents battled the child played the guitar in the room.

c. As the mother and the father left the child played the guitar in the room.

d. As the parents left the child played the guitar in the room.

battleのような相互作用動詞が目的語を取らないという解釈にいたるためには,主語が複数である必要があります。その時には相互作用動詞の後ろの名詞句は主節の主語として解釈され,ガーデンパスを回避できるということです。4条件作っているのは,(a) A and B(conjoined NP)とthe parentsのようなplural definite descriptionを比較したこと,(b) 動詞のバイアスの影響ではないことを示すために自動詞と他動詞の両方が解釈として可能な動詞の条件も用意し,その場合にはガーデンパスを回避することができないことを示す必要がある,という2点が理由です。

出版までの経緯

冒頭にも書いたように,この論文はD2のときにデータ収集を行い,その年の全国英語教育学会熊本大会で発表を行いました。その後,論文の形にして最初に投稿したのがその年度の終わりの2016年3月でした。

最初の投稿

まず,Bilingualism: Language and Cognitionに出しました。そこでは,査読に回る前に,「母語話者と比較してないからだめ」という理由で突っぱねられましたが,「母語話者のデータがなくともこの実験の結果のみで十分に価値がある」という長めのメールを送り,いくつかの修正条件を提示されたのでその修正をし,最初の投稿から1ヶ月後くらいに再投稿しました。査読に周り,再投稿時点から2ヶ月たってreject通知をもらいました。とにかく,コメントの鋭さが今までに経験したことのないもので,すごくショックを感じるとともに,これをもとに修正したらもっと良くなるに違いないとも思えました。

二回目の投稿

大幅な書き直しが必要で,イントロ,バックグラウンド,ディスカッションとほぼすべて書き換えました。そして,2017年2月に今度はLinguistic Approaches to Bilingualismというところに出しました。外部査読に回るまでが1ヶ月,外部査読に回ってからは3ヶ月で結果が来たので,投稿から最初の結果がわかるまでは4ヶ月でした。そして,またrejectでした。

正直,査読者のコメントはそこまで批判的ではなく,3人いるすべての査読者が好意的なようでしたし,コメントも対応可能なものが多かったです。それでもrejectだったので,Editorに抗議するか迷いました。しかし,私の副査であったM先生に相談したところ,抗議しても結果が変わる可能性は限りなく低いので,もっと別の雑誌に投稿するほうが良いというアドバイスをいただきました。印象に残っているのは,「IFが低いジャーナルが必ずしも通りやすいジャーナルではない」という言葉でした。

三回目の投稿

この時点で,私自身は割と自信を失いかけていましたが,第二著者の福田さんが,「この研究は絶対に面白いから,Applied Psycholinguisticsに出してみよう」と提案してくれました。私は,「それは無理じゃないか…」と思っていたのですが,あきらめずにやることにしました。二回目の投稿でもらったコメントも,論文の質を上げることにとても役に立ちました。三回目に投稿するときには,ほとんど穴という穴は塞いだ状態で投稿することができましたし,論の流れもだいぶすっきりしたものになったと自分でも思えました(それでも今読み返せばまだまだだなと思います)。

Applied Psycholinguisticsに投稿したのが2018年の1月初旬で,約2ヶ月後の3月上旬に結果が来ました。Major Revisionでした。3人のレビュワーのコメントはマイナーなものがほとんどで,1回目,2回目の投稿のときの半分くらいのコメントしかなかったと思います(1度目,2度目は計50近くコメントあったと思います)。結果のわかったタイミングが年度末で私も何かと忙しかったのもあり,修正にまったく手をつけられませんでした。期限ギリギリのGWにようやく修正原稿を提出し,その1ヶ月後の6月上旬にMinor revisionという結果がきました。3人のうち1人のレビュワーが細かい修正を指摘してきたので,その点を直し,2週間後に提出しました。最初は注が11くらいあって,さらには語数が制限ギリギリだったので,注を削って語数の範囲内に収めるのに苦労しました。このジャーナルでの3回目の投稿から2週間後の7月上旬に採択通知が来て,それからは書類を出したり校正を受けたりしました。

感想

本当は,大学院生のうちに私も国際誌に出したいと思っていたのですが,それは結局叶えられませんでした。国際誌にこだわったというのは,心理言語学系では国際誌のほうが選択肢が多かったからというのがあります。また,どんどんチャレンジしていこうという雰囲気が私の周りだけでなく色々なところにあったことも理由でした。そういう意味では,この時代だったから出版された論文でもあると思っています。環境が少しでも違えば,出版を諦めていたか,全く別の形で出版されることになったと思います。

結果的に,自分の専門を語るときに使う,「心理言語学」という言葉の入ったジャーナルに論文が出たことはよかったのかなと思います。心理言語的なアプローチをする先輩は名大にもたくさんいらっしゃるので,その先輩たちに追いついてそして追い越したいという思いもありました。

時間はかなりかかってしまいましたが,時間をかけて査読のプロセスを経たことで最初の原稿よりはいいものになったなと思っています。もちろん,これからたくさん批判を受けることでしょうが,それもまた自分の研究をより良くするために大事なプロセスだと自分に言い聞かせています。

最後に

私は,実は名古屋大に在籍した4年間で,私が第一著者,福田さんが第二著者という論文を出したことがありませんでした(逆は1つあります)。彼とはずっと一緒に長く研究をやってきていたので,今回の論文でようやく私が第一著者で二人の名前が載った論文が出せてよかったなと思います。これからもがんばります。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。