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ぐるぐるは誰のためにやるのか

さきほど投稿した記事の最後の方にも書いたんですがぐるぐるの話。

今回、ぐるぐるを含めた発音指導を授業の半分くらいの割合でやったんですね。一日中勉強させるので、長文読解とか文法とかやらせて解説してっていうのをひたすらやるのはつらいだろうと思いましたし、居眠りするような生徒も出てもおかしくない雰囲気でしたので。それに短期間で達成感を得て合宿を終えてもらうとなると、発音ていいターゲットじゃないかと思ったというのもあります。全6回の授業で、長文が劇的にスラスラ読めるようになったり文法問題の正解率がぐんとあがるようなことってなかなか難しいと思いますが、発音は意識改革と集中的な訓練で割りと効果が出るような気がするんです(もちろん継続的な指導がないとそのうち効果が消えていくでしょうけど)。

それで、ぐるぐるをやってみて、いつも家元のブログで見ているような、OKを出した時に「よっしゃー!」と言って飛び上がって喜んだり、ずっとつっかかっていた箇所を今度こそとチャレンジしてまた失敗した時に「ああああああああ!」と言って床に倒れこんで悔しがるような場面を目にして、ああこれがぐるぐるの効果なのかなあと思う場面が何度もあったんですね。

でちょっと考えてみたんですけど、あのぐるぐるっていうのはその活動の本質である「圧倒的否定の連続からの承認」というものがすべてを決めているのであって、誰がやってもぐるぐるやれば上述のような「イキイキしている」あるいは「輝いている」みたいな状況って作り出せると思うんですね。発音指導をあまりされたことがなければ、最初からマルがもらえるわけはなく、最初はバツがずっと続くわけです。ひたすらに否定され続けるわけですね。そのあと否定され続けて、頑張ってできたときに承認されたらそれは嬉しい訳です。でもそれってぐるぐるというシステムが作り出してるんであって、教員の力ではないと思うんですね。でも実際にぐるぐるやっていると、自分が生徒を輝かせているような感覚になるんです。だから結構危ないなあとやりながら自分で思っていました。

それと、発音指導やっているとちょっと気持ちよくなるような感覚もあって。それっていうのも教員自身がその指導中の絶対的な知になれるんですね。教員以外に正解をもっていない。という支配感といいますか。で生徒はそれに従順に従っていくような構図になるわけです。それって、たまに批判的に言及される「知識をひけらかすために自慢げに文法問題の説明をする教員」と重なる部分があるようにも思ったんです。どちらの場合でも「教員が絶対」「教員だけしか正解を持っていない」という状況が教員を気分よくさせるんじゃないかなあって。

そうやって考えた時に、ぐるぐるってやってる教員のセルフエスティーム補給てきな面もあるんじゃないかと思ったんです。もちろんぐるぐるやるためには自分がモデルを示せるくらいの発音ができることや、生徒の間違いに瞬時にフィードバックが出せて、どうすればできるようになるのかアドバイスをするというスキルも必要になってくるわけですが、それさえあれば比較的簡単に「俺が教えてやってる」感に浸れて、「俺が生徒の目を輝かせている」感にも浸れるんですよね。

そう考えると、生徒の発音をよくしてやりたいという思いの裏には、そういう教員の教員としての威厳を保ちたいとか指導している感を得たいみたいな感情が無意識に入り込んでいるように思ったんです(誰が考えた指導法かを考えるとまあ納得がいくんですけどね)。もちろんこれは僕が実際にやってみてそうなんじゃないかなと思っただけですので実際にぐるぐるを指導に取り入れている先生批判というわけではないです。僕だって合宿中ずっとやってたわけですから(家元門下生の先生に授業見ていただいたときにもやってて脇汗やばかった)。

逆に考えるとこれやらせると教育実習生とか新米教師みたいな経験のあまりない人は自信をつけられるという側面もあると言えるわけなのですが。兎にも角にも、このぐるぐるというやつはもし使うのだとしたら慎重に使っていかなければいけないなと思ったのでした。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

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