タグ別アーカイブ: スピーキング

「意思決定タスク」の難しさ

ライティングの話が多かったので,今回はスピーキングの話。

タスクのタイプには情報伝達・ナレーション・情報合成・問題解決・意思決定などがありますよね。といってもわかりにくいかもしれませんが,一言でタスクと言ってもそれが求めることによっていくつかのタイプに分類できるのではないかなという話です。タスク・タイプの詳しい解説については,下記の論文をご参照ください。

松村昌紀(2017)「タスク・タイプの理論的基盤と学習者の言語使用」『中部地区英語教育学会紀要』46, 55–62. doi:10.20713/celes.46.0_55

意思決定タスクとして有名なのは「無人島タスク」で,「無人島に持っていくものをみんなで相談して決める」というもの。これが大筋で、どういう経緯で無人島に行くことになったのか,何個まで無人島に持っていくことができるか,その無人島は一体どんな場所なのか,などのコンテクストをうまく設定することで,リアリティを持たせるとともに議論に一定の方向性を持たせたり,持ち物を決める際のリーズニングのベースとして機能させたりします。

意思決定タスクのゴールは「合意」で,話し合いの中で意見を1つに集約することが求められます。無人島タスクなら,「1つだけ持っていける」という制限だとしたらその持ち物を1つに決めることができればタスクが達成できたと判断することになります。

私も授業でよく意思決定タスクをやることがあります。授業で使っているテキストに関連させた内容にすることが多いのですが,実際にタスクをやらせると,「合意する」というのは結構ハードルが高いのだなということを思い知らされます。だからこそ,タスクを配列することになった時には意思決定タスクは後ろの方にすることになるんですけどね(余談ですが,実際にゼロからタスクを構想したとき,1番作りやすいのは意思決定タスクだと個人的には思っています)。

例えば,「4人の教員採用候補者の中から1人選ぶ」というタスクをやるとします(R.Ellis, 2003に例が載っています)。この時,目の付け所って色んなところにあるんですよね。というかそうしないとそもそもタスクとして盛り上がらないわけです。みんながみんな「絶対この人でしょ」みたいになってしまえば,議論した上で合意形成するというプロセスが必要ないわけですから。ところが,そうやって意見が割れるように仕組むところまではうまくいっても,それをすり合わせるのはなかなか難しい。教員側としては、たくさん議論してほしいわけですから,簡単に誰かの意見に同意して議論を終わらせるみたいなことだけはどうしても避けたいと考えます。そうすると,「誰かの意見に簡単に同意できないからとにかく自分の意見を貫き通す」ことになってしまいます。しかし時間内にどこかで合意しないとタスク達成にならないので,どこかで誰かが折れて1つの意見を最終的に採用することになります。この「折れる」とき,採用される意見に納得していて,その意見を出した人がみんなを(または2人で取り組んでいるのなら会話相手を)説得したというのならそれでいいなと思います。ただし,やり取りを聞いていると,その議論がかみ合わずに平行線になって止まってしまい、埒があかないからどちらかが折れて合意するという流れが圧倒的に多いように感じています。

もちろんタスクの設定の仕方の問題もあるでしょうし,学生の言語的なレベルの問題もあるでしょうし,言語に関わらず議論するスキルの問題もあるかもしれません。原因が1つに絞られるとは思っていませんが,とにかくこの意思決定タスクというのは難しいということが,この1年間スピーキングの授業をやっていて思ったことです。合議によって意思を決定するというゴールに到達するためには,どのようなサブゴール(cf. タスクにおける”sub-goal”という概念)があるのかなというのも考えなくてはいけないかもしれません。それが明らかになれば,ある程度誘導が可能だからです。ただ,それを事前に教えるというのはタスクっぽくなくなってしまうので,それもやりながら徐々に浸透させていくような工夫が必要になるかなと思います。

授業で「意思決定タスク」をやるときに,気をつけているポイントはありますか?ということをみなさんにぜひ聞いてみたいです。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

広告

Comprehensibilityってなんなのさ

ずっと下書き状態で放置していたのですが,「田村さんがJ-SLARFのあとにcomprehensibilityについてブログを書くとおっしゃっていたので楽しみにしていたのですが…」という問い合わせをいただいてしまったので頑張って加筆して公開することにしたいと思います。


最近の(私より)若い人たちの間では,comprehensibilityといわれる尺度(注1)と相関する変数をあげたら優勝大会というのがどうも人気のようです。しかしながら,このcomprehensibilityというのがまた得体の知れない曲者で,そういう大会に参加されている方々でも「よくわかっていない」もののようです。

とりあげられる変数は,音声発話から算出される言語的特徴量であることが多いようで,言語的特徴量から近似的に予測できる人間の主観的な心理尺度の1つということなのかなと思いますが,私にもよくわかりません。「comprehensibilityは心理的に実在するものか」という質問をさせていただいて,この質問があまり良くなかったことを反省しています。comprehensibilityが,人間の主観であるとすれば,それは人間の主観を離れて存在することが不可能ですから,実在はしないものであるといえるのかもしれません。私がお尋ねしたかったことは,comprehensibilityが構成概念だとしたとき(注2),そのモデルはどういったものになっているのだろうかということでした。言語的特徴量の数値それ自体には良い悪いという主観的な判断は存在しないはずで(注3),その個々の数値についてのなんらかの価値判断の総体となったものがcomprehensibilityというものだと考えてよいのか,とも言えるかもしれません。あるいは,個々の数値というよりもその数値が正確さ,流暢さといった概念を形成し,そうした概念についての主観的な判断の総体なのかもしれません。あるいは,可能性としては低そうですが言語的特徴量のようなものについてはなんの価値判断もなく,comprehensibility評価装置のような機構に言語的特徴量の値を入力した時,そこから初めてcomprehensibilityについての主観が生まれるのかもしれません。

このとき,正確さや流暢さといったものとしていくつかの変数をまとめる(あるいはまとめずに解釈する)ことに対する問題点はCAF警察の後輩にまかせるとして,人がある言語産出の理解(発話の理解や作文の理解など)に取り組んだとき,「この人の発話(作文)は文法的に正確だ」とか思うその主観的な判断は,その人の「文法的に正確な言語を産出する能力」と同じものなのかということも考えてみるとおもしろそうです。主観から離れた能力が存在するのかという意味で。

そして,このcomprehensibilityというのはいわゆる「スピーキング能力」と何が違うのかや,スピーキング能力とcomprehensibilityはどういう関係性なのだろうかというのも気になるところです。発話にあらわれる言語的特徴量は人の持つ「スピーキング能力」が反映されたものだと考えると(注4),言語的特徴量はスピーキング能力を反映したものだともいえます。そして,その同じ言語的特徴量を用いてcomprehensibilityというものをこちらは形成モデル的に測定しようとしているようにみえます。スピーキング能力がテキストに反映されていると考えれば,反映モデルでスピーキング能力を測定しようとすれば良いはずです。それを形成モデルでcomprehensibilityという新しい指標値を立てることによる利点はなんなのでしょうか(私の不勉強かもしれませんので,この論文を読めば書いてあるということでしたらご教示ください)。また,三者(comprehensibility, 言語的特徴量,スピーキング能力)の関係はどのようになっているのでしょうか。comprehensibilityに詳しい方にぜひ教えていただきたいです。

蛇足ですが,「よくわからない」ものを応答変数にして回帰する前に,comprehensibilityというヤツの正体を少しずつでもいいから明らかにする研究はやったらどうだろうとも思います。例えば,聞き取りにかかるmental effortが聞き取りやすさということなら,聞き取りづらい発話を聞くことにmental effortが割かれているのかどうか,逆に聞き取りやすい発話を聞くときにはmental effortがそれほど必要ないのかどうか,ということを確かめる実験をやってみるというのはどうでしょうか。これは,心理実験的にそこまで難しいことでもないと思います。

では,このへんで。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

注1. 妥当化されてないので尺度というのもあれですが。スコア?ですかね。

注2. comprehensibilityは構成概念ではないという見方もありえます。つまり,comprehensibilityは単純に能力の影響を受けたテキストの値を変換したものであって,comprehensibilityという固有の値をもつわけではないと考えるということです。

注3. 言語的特徴量自体に対して主観的な判断を尋ねる場合もあるようですが。

注4. 能力は全部形成モデルだ,という考えもありますが,テスティング系の研究者はおそらく能力がパフォーマンスやテストにあらわれると考えていると理解しています。

p.s. 新年一発目の挨拶もせず,このようなブログを更新してしまいました。年末年始は例年よりも長く1週間も実家に滞在したのが災いしたのか,名古屋のアパートに帰ってきてからキーケースを東京の実家の玄関に置き忘れるという大失態を犯し,寒空の中途方に暮れるという波乱の幕開けとなった2018年。何か悪いことが起こるという前兆かもしれませんので,いつも以上に気を引き締めて生活していきたいと思います。

 

英語教育実践セミナー@CELES2017長野大会

2017年6月24-25日に長野県の信州大学で開催される第47回中部地区英語教育学会長野大会の,英語教育実践セミナーでお話させていただく機会をいただきました。この企画は,中部地区英語教育学会長野支部の特別企画だそうで,なんと私の出るセミナーのタイトルは,「スピーキングの指導と評価」です。

ファッ!?いやいやスピーキングの研究とかメインでやってないし評価の研究もメインでやってないよ!?なぜこの話が僕のところに!?

というのがこのお話をいただいた際に思ったことですが,「はい」か「YES」しか選択肢がないのでお引き受けしました。原稿はとっくにあがってるのになかなか校正に入っていない「タスク本」(出版社がとてもお忙しいようです)に書いた内容とも関連させて,タスクを用いたスピーキングの指導と評価についてをお話しようかなと考えているところです。

時間は大会初日24日の10時からということで,ここ数年の中部地区英語教育学会では「恒例」というほどになってきた「英語教育研究法セミナー」の「裏番組」です。参加者として毎年英語教育研究法セミナーに出るのを楽しみにしていたので,そちらに出られないのは残念ですし,昨年度はかなりオーディエンスも多かったセミナーと同じ時間帯ということで,参加いただける方がどれだけいるのかとか不安はあります。そこは実践セミナーの司会を務められる浦野研先生(北海学園大学)にお力添えをいただこうと思います。

私がお話する内容は,「これがいい!」とか「この方法でやればスピーキング力が伸びる!」とかそういったことではなく,「こんな感じでスピーキングの評価を考えてみるってどうですかね?」というような「提案」になると思います(「提案者」としてお話するので)。フロアの皆さんとのやりとりを通して,スピーキングの指導と評価について考えを深められればと思いますので,ぜひ,CELES長野大会にお越しいただければと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。