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KELESセミナーでいただいたコメント・質問に答えます(後半)

この記事の続きです。途中まで書いていたのに,前半の記事をアップしてから2週間以上が経ってしまいました。この記事で私がいただいた質問・コメントにはすべてお答えしています。


コメント①

大学の授業で中学の教科書のような乗り換え案内の内容をやる一方で,入試や高校の教科書の内容は整合性がないように思えます。

お返事①

コメントありがとうございます。私がセミナーの中でお話した,私の担当する授業に関することの中に,乗換案内の話が出ていましたね(スライドでいうと8ページ目から)。補足しますと,私の非常勤先には英語の入試はありません。それでも「大学生」ですし,「英語」の授業を受けています。「大学生」に「中学の授業のような」課題をやらせるなんて,とお思いかもしれませんが,現実に,それが目標となる「大学生」を私は教えているという現状もあります。もちろん,大学が違えば学生が違いますので,大学が変われば私も「中学教科書のような」課題はやらないと思います。それができないので,まずはそのレベルの課題を,ただの会話パターンを暗記して話すような活動としてではなく,自分の言葉でなんとかやりきる力を身に着けさせたい,というのが,私の教師としての思いです。

質問者の方に満足していただけるかはわかりませんが,私からのコメントは以上です。

コメント②(①と同じ方からです)

生徒の言語リソースが蓄積されずとも現実に進級できる中,どうやって高次の活動を行わせれば良いでしょう?

お返事②

コメントありがとうございます。なぜ蓄積されないのに進級が可能なのか,私には不思議に思えて仕方がないのですが,本当に「ゼロ」(何も学んでいない)ということなら,進級させるのはおかしいと思いますし,「進級できないのでは」という時点で何かしらのサポートが必要になるのではないかと思います。別の可能性として,「本当はゼロではない」のに,ある側面からしか見ていないと「ゼロのように見える」ということもあるかもしれません。この場合は,彼らがどんな英語の力を持っているのか,多角的に評価してあげる必要がありますし,それらを活かしてより高度な課題が遂行できるように手助けしてあげられると良いのではと思います。

コメント③(①と同じ方からです)

やり方次第なのは承知していますが,タスク・ベースの授業を積み重ねれば,授業だけで東大・京大にはいることができるようになりますか。なると思いますか。

お返事③

コメントありがとうございます。どうでしょう。まず,「授業だけで」,つまり学校の授業時間のみの学習と,学校の教員が課す授業外学習のみで,本人の意志による自習や塾・予備校などでの学習を一切行わないで,東大・京大などに入学する人がどれくらいいるのかが気になりますね(そういう学習者ももちろん数としてはいることは間違いないでしょうが)。質問の意図が,そういうことではなく,「入試対策的または入試を意識した授業をそっくりそのままタスク・ベースの授業に変えても,生徒は東大・京大に入れるのか」であるとしたら,私には「できるようになる」とは言えません。わかりませんとしか言えません。

「なると思うか」については,「なるんじゃないか」と思いますが,そのときに,それが「タスク・ベースの指導の効果があったからか」と問われると,それもわかりません。上で述べましたように,今,入試に受かる英語力をつけた学生のその力のどの程度が「授業だけ」や「教師の指導方法だけ」の効果(他の要因を統制したときの影響)によるものなのかわからないからです。もちろん授業の効果は大きいのではないかと思いますが(調べたらそういう研究があるかもしれません),授業のやり方が変わることによって入試の合否が変わるほどの影響があるのかはわかりません。入試が変わらなかったとしたら,「入試対策」的なものが授業の外で何かしらの形で行われるようになるかもしれませんので。歯切れの悪いコメントで申し訳ありません。

コメント④(①と同じ方からです)

正直,現役の高校教員としては時間がなく,工夫工夫と言われても自分は良くても同リョウ[原文ママ]にはまだ求める事ができません。ぜひ教科書,シラバスとしてシステムで提供してください。

お返事④

コメントありがとうございます。「教科書やシステムで」というのはごもっともであると思います。しかしながら,なぜ現時点でそうしたものがないのかについては,いくつか考えられる理由があります。1つ目は,中学校あるいは高校を卒業する時点で身につけておくべき能力についての合意形成ができていないことではないでしょうか。CAN-DOリストは学校ごとに作るようになってい(ると思い)ますし,その中で教科書としてタスク・ベースのものを作るのは困難です。2つ目は,例えなんらかの基準に基づいてタスクを選定し,その配列を決めた教科書やシラバスを作っても,商業ベースで売れない(利益が出ない)ということがあるかと思います。

そこで可能性として考えられるのは,様々なレベルの,様々な種類のタスクが豊富に掲載された教材集を作ることです。その教材集を参考に,先生方自身にタスクを選んで配列してもらうことで,目の前の学習者に合ったタスク・ベースのシラバスを作るということはできるかもしれません。私自身の数少ない経験では,「教科書」があることで逆に教科書に縛られてしまい,タスク・ベースの授業を展開しづらいということになってしまうと感じています。

もう1つの可能性は,単一の授業実践ではなく,シラバスレベルでタスク・ベースの実践を共有していくことです。大学レベルでは,タスク・ベースの実践をされている方は国内でもいらっしゃいますので,そうした方々が,シラバスとして半期または年間でどのように授業を計画しているのかということは,他の先生方がタスク・ベースのシラバスを構築するヒントになるかもしれません。ただ,他の方の実践はそのまま自分の環境に当てはまるわけではありませんので,やはり何かしらの改変は必要になります。結局のところ,タスク・ベースのシラバスとはtailor-madeのシラバスになりますので,どの環境でも同じようにできるタスク・ベースのシラバスというのは難しいのかもしれません。だからこそ,どうしても,今現在先生方がされている実践をベースに「工夫を」ということになってしまいます。この点については,今後の課題とさせていただけませんでしょうか。私からのお返事は以上です。コメントありがとうございました。

コメント⑤

ご自身の普段のエピソードも交えてお話いただき,とてもわかりやすかったです。

2020年以降の入試改革で,中・高の授業はどのように変わっていくと思われますか?または,どう期待されますか?

お返事⑤

これは難しいですね。私としては,スピーキングやライティングも含めた4技能の入試になることでいい意味で波及効果としてスピーキングやライティングも授業の中で扱わないわけにはいかなくなってくるという点では期待しています。しかしながら一方で,そのスピーキングやライティングの扱いが「試験対策」的なものになってしまうことは危惧しています。そうなると,結局ライティングやスピーキングの「型」や「パターン」を覚えてその型どおりにうまく書いたり話したりできることが入試で高得点を取ることにつながってしまうかもしれないからです。これは全部悪いというわけではなく,何もできないよりは型どおりにでも書いたり話したりできる方が良いに決まっています。ただし,行き過ぎると「型通りにしかできない」という学習者を大量に生み出してしまうという可能性もはらんでいます。入試というか,客観的な測定を突き詰めるとどうしても得点の高い学習者のパフォーマンスと得点の低い学習者のパフォーマンスを弁別できるようにせざるを得ず,そうなるとそこに一定の傾向なり,「型」が生まれることになってしまいます。外部試験を運営している方々にはそうしたことに出来る限り配慮したパフォーマンス評価が求められると思いますし,教員側としても「型」の練習になってしまわないような試験対策が求められるのではないでしょうか。

コメント⑥(私に対しての質問かわかりませんが…)

もっとinputを増やしたい!!と思った生徒に対して,特別な宿題を出すなどはされているのでしょうか。

お返事⑥

今期は多読をやろうということで毎週1冊多読用の本を読んで感想を書くという活動をやっていましたが,そういうことではなしに「宿題」を出すことは今のところはありません。もし仮に個別に相談があったら,学習者のレベルに合わせてどんな方法でインプットを増やしたらよいかはアドバイスすると思います。

コメント⑦

I’m sorry your talk wasn’t so interesting to me. Your messages weren’t so inspiring either. Sorry

お返事⑧

率直なご感想をお聞かせいただきありがとうございました。interestingかつinspiringなtalkができるように精進したいと思います。また,このテーマにつきまして,どのような内容であれば,またどのようなメッセージであればinterestingでinspiringだと思っていただけたのか,今後のためにご教示いただければ幸いに存じます。

 


ここまで読んでいただいた方,また,この記事を御覧頂いているかわかりませんが,コメントを書いてくださった方,ありがとうございました。未熟者の私を講演者としてお呼びくださった関西英語教育学会の先生方にも改めて感謝申し上げます。この経験を無駄にしないようこれからも授業・勉強・研究に邁進したいと思います。今後共よろしくお願い申し上げます。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

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KELESセミナーでいただいたコメント・質問に答えます(前半)

先月のKELESセミナーでは,最後にフロアからの質問やコメントを紙で受け付けて,それに各講演者が答えていくというようなセッションがありました。その場でうまく答えられなかった質問もありましたので,ここで改めていただいた質問やコメントについて,私なりの回答を書いておきたいと思います。質問に答える順番は単純に今持っている用紙を上から順番に書いていきますので,特に他意はありません。


コメント①

You need to study more and experience teaching English before giving your presentation in a seminar.

The data on 言語活動 might be rubbish if you don’t define 言語活動 clearly.

What you said today sounded sharrow [原文ママ] or fake.

It’s waste of time for us to listen to you. Sorry to be harsh but it’s quite true.

お返事①

大変率直なご意見をお聞かせいただき,ありがとうございました。講演のお話をいただいたときから,「私のようなものに講演者が務まるのだろうか」という不安はありました。その不安が的中してしまったようです。年末の貴重な土曜日のお時間や参加費が「無駄」になってしまったこと,大変申し訳ありませんでした。

さて,言語活動の定義についてですが,補足させていただきたいと思います。投影資料の11ページ目からになりますが,授業時間における言語活動の割合というお話をさせていただき,中高で比較して,中学校の方が多いということを申し上げました。言語活動は学習指導要領においては概念的に定義されているというよりも,具体的な活動として示されていると私は理解しています。また,中学校で求められる言語活動は,高等学校で求められる言語活動よりも基礎的・基本的なものも多いです。その意味で,高等学校での言語活動の割合が低いというのは,言語活動という言葉でカバーされる活動がそもそも中学校の方が多いので,授業時間内に占める言語活動の時間の割合が高くなっているのかもしれません。質問者の方のコメントが私が推測したような論理に基づいているのだとすれば,その点についてはご指摘のとおりかと思います。

ただし,もし仮にそうであったとしても,中学校と高等学校で全く同じ内容の指導が行われるのだとすれば,それは中学から高校へとあがっても教科内容が発展していないことになります。その点で,高校でより発展的なことが言語活動として設定されることは自然なことだと思います。もちろん,現実には中学校での内容が身についておらず,高校でもまた中学校の内容から,という場合も多いかと思います。それは理解した上であえて申し上げるならば,「これは現実として仕方ないのだ」としてしまうのではなく,松村さんが指摘したように,英語教育が「どこで躓いて落ちるかのゲーム」になってはいないだろうか,と考えることもできるかと思います。

このように考えると,言語活動が指し示すものが中学と高校で異なっていることや,そのことで言語活動の割合が変わることは事実かもしれませんが,それだけで私がお話した内容が”rubbish”になるとは思っていません。なぜなら,言語活動の話はその後の19ページ目からの教員の意識という話と接続していくからです。高校での言語活動の割合が低いから高校教員はダメなんだ,というようなことを私はお話したかったわけではありません。また,最初にお断りしたように,大規模調査の結果は日本のすべての教室の現場と100%一致するわけではありません。言語活動をたくさん取り入れた授業をしておられる先生方も多いかと思います。私が言語活動の話や教員の意識の話を持ち出したのは,「ざっくりと」現状を見て,言語活動の割合が低下したり,音読・発音練習・文法説明が行われる頻度が高かったりするとき,それが必ずしも教員の意識改革だけで達成される問題かという部分に焦点をあてたかったからです。ある指導の選択に関わる要因は教員のビリーフだけではありません。つまり,どれだけ優れた指導力があって,タスク・ベースの言語指導にシンパシーを感じても,それが実行に移せないケースもあるということです。その状況で,どれだけ理念を説いたり理解を促そうとしても,「できないものはできない」となってしまいます。これは,研究者1人が何か研究をすることで,あるいはそれを広めることで打開できる問題ではありません。しかし,だからといって,いわゆる「現場」への介入や干渉を求めるような外国語教育研究者が無視していい問題でもありません。

質問者の方に満足していただけるかはわかりませんが,私からのコメントは以上です。これからもっと勉強して,また,指導の経験も積んでから出直してきたいと思います。ありがとうございました。

コメント②

学習者の自由度を保障することと,学習者が発案した言語形式・表現形式(インターランゲージであっても)を形式的に評価すること,コミュニケーションが成立した事例を相互分析して次のタスク達成へのヒントとすることで,学習に発展が期待できるのでは?

お返事②

コメントありがとうございます。「形式的に評価」というのがどのレベルでの評価かはわかりかねますが,学習者が使用した言語形式や表現と,タスクが成功したか否かを分析するというのは意義があると思います。タスクの達成の鍵となるのは言語にかぎらず非言語的ストラテジーである場合もありますが,タスクの後のフィードバックでは基本的に「どのようにしたらタスクができたか,あるいはもっとスムースにできたか」といった点に焦点をあてるようにしています。質問者の方のご指摘のとおり,自由にやらせてみて,そのあとに「こういう質問をしてたけど,でも質問の仕方をこういう言い方にしたら相手も答えやすかったんじゃないかな?」というような具合です。

研究的に考えると,タスクの達成と非達成を分ける言語的要因を探るということになるかと思います。これは,言語形式を細かくみるということではないですが,例えば流暢さ,正確さ,複雑さの要因のうち,プロダクトの全体評価を予測する要因は何か,といったようなかたちでの研究はすでに行われています(e.g., Plakans, Gebril, & Bilki, 2016)。これを,あるタスクを達成したかどうかと,言語形式の使用という観点で見ていくというのは面白そうです。ただし,このアプローチの問題点の1つは,帰結として,タスク達成のためには「この形式を使えば良い」ということになり,それはつまり会話パターンを覚えて使えばよいということになってしまいます。これは,タスク・ベースの言語指導のもつ理念とは相容れないものです。

だからといって,あるタスクを達成するためにどんな言語的・非言語的リソースが役に立ちそうかというフィードバックを一切与えないわけにもいきません。大事なことは,どんなときでも「それを選択する」機会が保障されていることかなと思います。つまり,あるタスクが与えられたとき,自分が持つリソースの中からそのタスクでusefulな言語的表現をその場で学習者自身で選んで使えることを保障したいということです。

コメントをいただきありがとうございました。

コメント③

本日はお話ありがとうございました。教員が感じている課題に対し,発想の転換を提案していただき,考えさせられました。

少しずつでもタスク・ベースを取り入れていける様,努力したいと思います。

お返事③

コメントありがとうございます。少しでも私の話しを肯定的に捉えている方がいらっしゃってホッとしています。実践のことについてはタスク本をご参照ください(宣伝。ただしリンクは貼りません)。

コメント④

本日はありがとうございました。御著書を事前に拝読してから,今日のお話をうかがったので,より理解を深めることができました。

  • PPP型の授業より,かなり教員の指導力(手腕)が問われるかなと感じます
  • ”何ができるようになったか”生徒自身に言語化させる(ふり返らせる)時間はやはり取るべきでしょうか?
  • タスク型の自宅で取り組む課題を考える時,留意すべき点はありますか?(T-S,S-S間のinteractionは授業中の活動のように行えないので)また,例としてどのようなものが考えられますか?
お返事④

コメントありがとうございます。タスク本をお読みいただいたとのこと,誠にありがとうございます。3つの質問とコメントについて順番に答えさせていただきます。

1つ目,教員の手腕ということですが,「よりも」かどうかは明確に言えないかなと個人的には思います。PPP型であっても,oral introductionやpattern practiceをスムースに展開したり,最後の言語活動をどう構成するかやどう取り組ませるか,についてはそれなりの指導力が必要かと思います。ですから,PPP型で良い授業をされる先生は仮にタスク・ベースでこんな指導やってみてもらえませんかとお願いしても,うまくやれるのではないかと思います。

どのような指導形態であっても,英語力や学習者への臨機応変な対応などはよい授業を作るために教師に求められる能力だと思います。ただし,事前に準備したり,学習者の対応を予測しづらいというのはタスク・ベースの方が少しあるかもしれません。ただどんな授業でも予測できないことが起こるのが教室という場所だと思いますし,それをうまく学びに変えたり,教師自身が楽しめるのが大事かなと思います。

2つ目,振り返りの時間のことですが,これはやったほうがいいと個人的には思います。どんな授業をやったとしても,その日になにを学んだかや次の授業にどんな目標をもって臨むかということを少しでも考えてもらわないと,学びが蓄積されていかないのではないかなというのが個人的な考えです。特に,学習の成果が教科書やノートを見ればわかるようなものではなく,その日に教室で自分がした行動が学習の成果になるわけですので(もちろんワークシートに何らかの軌跡は残るでしょうが),それを蓄積していく手段をなんらかの形でとらないと,「なんかやって楽しかった」,で終わってしまうと思いますし,最悪の場合「結局なにもできなかった」,となってしまうかもしれません。

振り返りをするにも,ただ単にふり返らせたり,できたこと・できなかったことを自由に書かせると有意義な振り返りにならないこともあるので,その授業時間の目標を明確に提示して意識させたうえで,場合によってはそれを学習者自身に書かせた上で,それが達成されたかどうかを書かせたり,達成されなかったとしたら原因はどこにありそうかを考えさせたりという方法で最初はやっていくのがよいかもしれません。

3つ目,自宅学習についてですが,自宅学習でタスクと考えるのではなく,授業の構成を考えて,教室場面でしかできないことと,教室でなくてもできることに分けてみて,教室でなくてもできることを自宅学習に回すと考えるのが良いのではないかと思います。例えば,メインのタスクに入る前の事前タスクとして何かを読んでくる,あるいはキーワードの意味を調べてくる,といったようなことを自宅学習の課題にするという発想です。こうすれば,メインのタスクのために十分な時間を授業内で確保することが可能ですし,タスクを繰り返し行うことにもつなげられるかもしれません。また,話した内容について,事後タスクとしてのライティング課題を宿題として書かせてくるということも考えられます。個人的には,教室に学習者が集まっているからには,その中で1人1人が黙々と個人で作業する時間はもったいないと思ってしまうので,そうした時間を自宅学習に回すようにと考えています。ただし,1人ではできないというケースもあるかもしれませんので,授業でいきなり全員が事前タスクをやっている前提で始めたりせず,まずはペアやグループ,隣近所で確認したり教え合ったりする時間を少し設けることも必要かもしれません。事前タスクが渡された授業を休んでいたという場合も,ここでcatch upさせてあげられます。

もう1つ考えられるのは,どうしても文法演習や単語学習,音読などを含む,「既存」の英語授業と併用してタスクベースの授業を運営しなければならず,授業時間が足りないという場合に,文法演習やその解説を自宅学習にまわしてしまうということも考えられます。今風の言葉でいえば,「反転学習」とも言えるでしょうか。私は昨年度後期から,教科書の文法演習のセクションについてはすべて宿題として,授業用ウェブサイトにアップロードした自作の解説動画を見て答え合わせをさせるようにしています。もちろん,このことによってほとんど宿題をやらないというケースも出てくることは危惧されますよね。そこで,その対応として,やった「証拠」として,答え合わせ後のページを写真に撮って提出させています。これを見れば,「全部赤で書いてあるやん」とか「答えを全部書き写してから全部○したな」とかすぐにわかってしまいます(たまに答えを間違えているのに○されていたりとかしますので)。もちろん,これだけで全員に100%で取り組ませることはできていないかもしれませんが,それは教室内で時間を取って解説したり問題を解かせたりしても同じことかなと割り切ってしまっています。

ということで,自宅学習については事前タスク・事後タスクとして1人でもできる部分があるものを自宅学習課題として位置づけるという方法が1つです。もう1つは,文法演習や単語学習,音読課題など,既存の英語授業で行っていた活動を授業外の学習にあてるという方法です。

ご質問にうまく答えられているかわかりませんが,私からのお返事は以上です。コメントありがとうございました。


あと4枚残っているのですが,ここまででだいぶ長くなってしまったので,後半は別の記事としてアップしたいと思います。ここまで読んでいただいた方,また,この記事を御覧頂いているかわかりませんが,コメントを書いてくださった方,ありがとうございました。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

第43回KELESセミナー資料

いよいよ今週末,12月23日(土)に迫ってまいりました。龍谷大学梅田キャンパスで行われる第43回KELESセミナーの私のトークの投影資料(暫定版)をspeakerdeckにアップロードしました。まだ暫定版ですので,本番前まで修正の可能性があります(2017年12月20日23時現在)。

80分という長丁場が3本というセミナーですので,参加者の方は眠気との戦いとなるかもしれませんが,私のスライドはここにありますのでご心配なく。

大阪でお会いできる方,楽しみにしております。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

2017年12月26日追記

若干修正したものをアップしています。一部(不要なもの)を除いて,発表時に使用したスライドと同様です。

第43回 KELESセミナー

2017年12月23日(土)に龍谷大学大阪梅田キャンパスで行われる第43回KELESセミナーにお招きいただき,タスク関連のお話をする機会をいただきました。

関西英語教育学会 第43回KELESセミナーご案内

タスク本が出版されてから,お招きいただいてお話をする機会はこれで3回目となりますが,関西英語教育学会からお声がかかるとは思ってもいなかったので,非常に嬉しく思っています。

私の他にも,名城大学の松村先生と大阪府立鳳高等学校の溝畑先生が登壇されます。講演タイトルや講演概要は上記のウェブサイトで公開されていますのでそちらから御覧ください。私の話す内容としては,あえてTBLTの課題を指摘し,それをどのように乗り越えていくかということを考えてみたいと思っています。研究からの示唆や批判的な検討というよりも,どちからというと自分が実践している上で感じている課題のようなものです。

資料の準備などはこれから(というよりも博論提出してから…)になりそうですが,なんとなくの構想は頭で作ってあります。参加登録も開始されたようなので,ご興味がおありの方はぜひお越しください。

以上,告知でした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

CAFの(相関と)発達の順序

いま,とある実践報告論文を書いていて(共著),頭の中がこんがらがってきたので整理するために書いておきます。

CAFの相関と発達順序の話。こういう論文があります。

Koizumi, R., & In’nami, Y. (2014). Modeling complexity, accuracy, and fluency of Japanese learners of English: A structural equation modeling approach. JALT Journal, 36, 25–46.

5つの異なるスピーキングタスクでSyntactic Complexity, Accuracy, Speed Fluency, Repair Fluencyの指標をそれぞれ1つずつで共分散構造分析をしましたよという論文ですざっくりいうと。もともとはSyntactic Complexityだけ2つの指標だったり,CAF因子の上にspeaking proficiencyを置くモデルだったりspeaking proficiencyにすべての指標がloadしているモデルだったりも比較したけどCAF因子仮定したモデルが一番良かったという話ですざっくりいうと。それで,

「CAFはあります!」

「ねーよ」

っていう話は後輩のCAF警察に任せるとして,結果の解釈の話です。4つの因子間の相関をもとに色々議論している箇所があって(How Are CAF Interrelated?の節),流暢に話す(単位時間あたりの発話語数が多い)学習者は修正回数も多く(Repair Fluencyも高い),なおかつ正確さも高くて統語的に複雑な文(AS Unitあたりの節の数が多い文)を産出するそうです。で,その直後に,

Further, the results also indicate that as learners progress from beginning to lower intermediate levels, they develop the ability to produce such speech, thereby gradually improving SC, accuracy, and speed fluency (although not necessarily synchronously).

と書いてあります。熟達度があがると,徐々に複雑さも正確さも発話スピードもあがるよと。うんうん。まぁ相関あるってことはある数値が高くなると他の数値も高くなるということだからそういうことって素直に解釈して…いいのかな?ちなみに,「結果」とは,統語的複雑さと正確さの相関は= .88,統語的複雑さと発話スピードは= .63で,正確さと発話スピードの因子間相関はそれほど高くなく,= .35である,ということを指していると考えられます。その直後,

It is speculated that improvement in fluency may lead to enhanced SC, which may result in heightened accuracy; that is, when learners learn to speak faster, they may gradually come to use a greater number of clauses and longer units (sentences) and subsequently may produce more accurate utterances.

むむむ??

いや,言っていることがもっともらしいので,きっとそうなんだろうなとは思いつつ,この因子間相関から流暢さが先に発達してその後に文が複雑になって最終的には正確さもあがってくるって言えるかなぁって考えてしまいます。いや,きっとそうなんだろうと思いますし,すごくしっくりくる説明なんですよ。ただ,このspeculationと因子間相関の間に見えないギャップみたいなものを感じてしまっていて,そのギャップを自分の中の「そうなんだろうな」っていうやつで勝手に埋めてしまっている感じです。なんなんでしょうねこのもやっと感。

流暢さというのは単位時間あたりの語数なので,統語的複雑さがあがると(節の数が増えると)必然的に語数も増えるという傾向はあるでしょう。ただし,「単位時間あたりの」というのがポイントで,すごーくゆっくり,だけど節の数が多い発話をすることは論理的には可能なんですよね。

1分間で,1文が(話を簡単にするためにAS Unitではなく文にします)5語からなる文(I like soccer very much)みたいなものを5つ発話したとすると,合計は25語で,60で割ると0.416という発話スピード。一方で,1文の中に節が3つあるような文(I think that she likes playing soccer)を2文しか発話できなかったとすると合計は14語で60で割ると0.23…で流暢さは落ちる。一方で,後者の文は1文あたり節が3つで,前者の文は節が1つなので,統語的複雑さは後者のほうが上。という感じ。

ただし,統語的複雑さと発話スピードの相関は.63なので,そういうパターンはほとんどなかったということになります。対象が中高生の初級者だということを考えても,節の埋め込みがそんなに多い文を頭ひねって作り出せるかっていうとそんなに現実的ではない気ももちろんします。

正確さとスピードに相関があまりない(ないわけじゃない)というのはまぁうなずけて,スピードが早くても正確じゃない人もいれば,逆にスピードが遅くても正確というパターンもあるからですよね。ただしスピードが遅ければ遅いほど正確さがあがるという関係が見られるわけでもないので,多少は流暢ならまぁまぁ正確さもあるかもね,くらいの感じなのでしょう。

よくわからなくなってきました。最初に疑問に思っていたのは,流暢さがある程度発達すると複雑さが上がり,そして複雑さがあがってくると正確さもあがるというような発達を仮定したとき,それがデータによって示されるというのはどういうことなのだろうということでした。

多分,

  1. 流暢さの値が高くとも複雑さや正確さの値は高くない(そこに相関がない)という状態があり,
  2. 次に同じ学習者群(または最初の学習者集団よりも熟達度が高い学習者)が時間を経たとき(発達したとき)に,流暢さと複雑さの値には相関があるが,流暢さと正確さに,複雑さと正確さにも相関がないということが観察され,
  3. その後,またそれよりも時間を経たときに,複雑さと正確さの相関が高くなり,流暢さと正確さの相関もちょっと高くなる,ただし正確さと流暢さの間には高い相関はない

みたいなデータが得られたとしたら,「なるほど。流暢さ,複雑さ,正確さ」という順番で発達していくのかなぁ,ということが頭に浮かびます。ただ,横断的でもなく,縦断的でもない1つの集団のデータの因子間相関からはいまいち「発達」ということをストレートに解釈しにくいよなぁと私には思えます(あるいは私の頭が悪いからかもしれません)。

先ほどの因子間相関だと,まずは正確に話そう。正確に話せるようになると,複雑さもあがってくるだろう(正確さと複雑さの相関が高くなる),複雑さがあがると節の数も増えるので流暢さもあがってくるだろう(複雑さと流暢さの相関が高くなる),というところまでは(他のことを色々無視していれば)いけそうな気もしてきます。ただ,最終的には正確さと流暢さの相関がなくなっていくことにならなければいけないので,ある程度複雑さがあがって流暢さもあがると,実は正確さは落ちていくのだーとか言わなくてはいけなくなります。なので,この説明はやや「きれいさ」が落ちるかなとは思います。

やっぱり,語数がのび,節の数が増え,そして正確になる,という仮説のほうが正しそうです。いや,そうなんです,正しそうなんですけど,でも「実際にそういう仕組みになっている」といえるためにはどういうデータが得られないといけないのかな,ということを考えた時,そのときに浮かぶイメージと因子間相関の間のギャップにもやもやしたのでした(たぶん頭が悪い)。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

 

 

「タスク本」ができるまで

大修館書店から,『タスク・ベースの英語指導ーTBLTの理解と実践』という本が出版されます。この本は,名城大学の松村昌紀先生が編著者で,私も一部の章を執筆させていただきました。

私のところにも,出版よりも一足早く著者見本が送られてきました。実際にこうして製本されたものを手に取ると,いよいよだなという気持ちになります。今日は,「出版記念」(?)ということで,この本に対する思い(出)を綴っておこうと思います。長くなりそうな予感がしていますがお付き合いください。

この本に関わらせていただくことができたのは,色々な縁があったからです。私が名古屋に来て間もないある日,この本の執筆者の1人である福田さんに,「名古屋でやってる研究会があるんだけど興味ない?」と言われました。私は自分が知らない人ばかりの場所に行くのがとても苦手なので,実はその時はあまり参加に前向きではありませんでした。しかし,1回だけでも行ってみようと思い福田さんに連れられて参加しました。実は,その研究会を主催していたのが,タスク本の編著者である名城大学の松村先生だったのです。

もちろん,『タスクを活用した英語授業のデザイン』や『英語教育を知る58の鍵』などの著書で知られる松村先生のお名前は存じ上げていましたが,お会いするのは初めてのことでした。

行ってみるとその研究会はとてもアットホームでありながら,知的にレベルの高い議論が繰り広げられ,大変刺激的な経験をすることができました。松村先生は,初めて参加した私のことも快く迎え入れてくれ,私は今ではその研究会に毎月参加する「常連メンバー」となっています。

私は,松村先生が2012年に出版された前述の『タスクを活用した英語授業のデザイン』を読んでとても感銘を受けた多くの方々のうちの1人です。修士論文の研究もタスクに関するものでしたから,Task-based Language Teaching (TBLT)に関連する書籍や論文も読んでいましたし,松村先生がお持ちの英語教育に対する「思い」や「理念」のようなものに共感することも多かったです。

私が研究会に初めて参加してから1年ほどが経った2015年の4月から,Michael LongのSecond Language Acquisition and Task-Based Language Teachingという本を研究会で読むことになりました。この本が出た,そしてこれを読んだということがなかったら,もしかすると私達の本が出版されることもなかったかもしれません。確か,2015年の秋冬頃に,松村さんが「タスクの本を出そう」というようなことを仰っていて,「その時には福田くんと田村くんもぜひ書いてほしい」ということを仰っていただいたような記憶があります。もちろん,それは研究会の合間の他愛もない会話の一場面で,当時は本当に出版することになるとは,ましてや私も執筆者の1人として名前を連ねることになるとは夢にも思っていませんでした。

そして,2015年末に,浦野先生が「あの夜」と呼ぶ日がやってきます。

私は,松村先生とも浦野先生とも仲良くさせていただいていて,その日も浦野先生が名古屋にいらっしゃるということで,福田さんや数人の先生方と一緒に名古屋でお会いすることになっていました。そこに,松村先生も合流し,「松村先生と浦野先生が同じ宴席にいる」ということをとても新鮮に感じたように記憶しています。そして,浦野先生いわく「『あの夜』に俺が松村さんを(タスク本の出版に向けて)けしかけた」そうです(笑)。そして,2016年1月のセンター試験の頃,松村先生が企画案を作ってくださり,その後タイトルや内容についての交渉があり,2016年の5月頃から執筆をスタートさせたように記憶しています。

私の担当は,TBLTに関する疑問などに答えながらその解決策を提示するという主旨の第4章と,中学校・高等学校での実践に関する第7章でした。特に後者の執筆は大変難航を極め,私が第1稿を著者の方々にお送りしたときには「各章25ページ」という制限を大幅に超えた70ページにもなる原稿でした(笑)。内容的にはゆるやかな縛りしかなく,本当に私の「書きたいこと」,「言いたいこと」を詰め込みすぎてしまったために,「あれも書いておこう」,「これにも言及しておかなくては」とどんどんと原稿が冗長になっていたのでした。松村先生には,文字通り「ざくざくと」私の原稿を「斬って」いただき,最終的にはページ制限をオーバーしつつもなんとかOKサインをもらえたのでした。

松村先生と一緒に仕事をしたことで,「少しでも良いものに仕上げるためなら労力は厭わない」というプロフェッショナリティやプライドを間近に感じることができ,本当に刺激的な1年間だったなと思います。原稿の書き直しは何度もしましたし,校正の段階で松村先生からの手書きのコメントつきの校正紙を見てあまりのコメントの多さにそのままそっと封筒に戻して頭を抱えたこともありました。それはまさに,「査読コメントのファイルを開いてすぐ閉じる」ときのような気持ちでした。そこまでのエネルギーを注いで他人の原稿を読むことは,なかなか真似できることではありません。そんなときでも,「僕は自分の書いた部分はそれ(他の人の書いた文章にコメントしている)以上に書き直しをしているよ」とおっしゃっていただいたり,「僕1人では絶対に書けなかったと思えるような内容だから本当によかった」と励ましていただきました。著者陣の中でも一番未熟な私をそのように厳しくも温かく導いてくださり,本当に感謝の念に堪えません。

執筆する中で私が一番苦しかったのは,「私の原稿は松村先生の本を上回るものになっているのだろうか。新しい視点は提示できているのだろうか。焼き直しになってはいないだろうか」ということでした。私が書くからには,「自分にしかできない仕事」をしないと意味がありません。そうでないと,私が書く意味がなくなってしまうからです。そうした思いから,特に第7章の方では,具体例や実践者としての自分のビリーフのようなものを織り交ぜながら書くようにしました。

昨日の中部地区英語教育学会でいろいろな方とお話させていただいて,本に書いた内容でもまだ不十分というか,「十分に消化しきれない。もやもやが残る」というような部分もお読みいただきながらきっと出てくるだろうなと今になっては思います。ただ,それでも執筆当時は私の全力で書いた文章だったのです。この点については,今後の研究の課題として引き受けて,乗り越えていけるようにしようと思っています。

長くなりましたが,最後に。

私はアメリカの修士課程に在籍していたころからブログで文章を書くようになりました。今でも2011, 2012年あたりの記事を見ていると,本当に恥ずかしいような文章を(それも結構な頻度)で書いていたのだなと思います。WordPressに移行し,日本に帰ってきてからはこの「英語教育0.2」というブログをスタートさせましたが,アメリカにいた頃は「田村の日本語はめちゃくちゃだ」「アメリカにいるから日本語の文章の書き方を知らないんじゃないか」といったような「お叱り」を受けるようなこともしばしばありました。そんな私が,主にTwitterを通じてたくさんの方にお世話になり,あれから5年ほどの月日を経て,商業媒体に日本語の文章を載せることになったなんて,なんだか不思議なこともあるものですね。

いただいたチャンスを無駄にせず,今後につなげていけるよう,これからも一層頑張っていきたいと思います。

なにをゆう たむらゆう

おしまい。

 

 

 

 

CELES2017英語教育実践セミナー

以前このブログでも紹介させて頂きましたが(https://tam07pb915.wordpress.com/2017/03/28/seminar-celes2017-nagano/),明日6月24日に信州大学で行われる第47回中部地区英語教育学会の英語教育実践セミナー1で,「タスクを用いたスピーキングの指導と評価」と題した発表をさせていただきます。

投影資料についてはまだ細かいところで修正をするかもしれませんが,配布資料を印刷し終えたので,配布資料をGithubページにアップロードしました。

https://github.com/tam07pb915/CELES2017-Seminar

Githubでスライドを公開する方法がいまいちよくわからず,何度か調べたりしながらトライしたのですが結局うまくいかなかったです(github.ioを作ればよいことまではわかったのですが,HTMLファイルはそこで公開できても,Rmarkdownからreveal.jsを経由して作ったHTMLファイルをスライドとして公開するやり方がわかりませんでした…

配布資料は,pdfのものについてはRmdファイルからMS-Wordに出力したあとにPDFにしたものです。Wordファイルにした後で,フォーマットをいじったり一部穴抜きにしたりしてあります。Rmdファイルのものは穴抜きになっていません。

また,当日は私が担当したクラスの学生の発話を音声で流しますが,その部分については公開した資料からは削除してあります。

基本的には,『タスク・ベースの言語指導ーTBLTの理解と実践』で私が担当した部分で書いたタスク・ベースの指導における評価の考え方のような話をする予定です。先月に広島で私が話したこととも一部重複する話も少しだけあります。

この本のこともブログできちんと紹介しなければいけないので(順番が前後してしまいました),書きかけの記事をなるべく早く公開できるようにしたいと思います。

それでは,みなさん,長野でお会いしましょう!

なにをゆう たむらゆう

おしまい。