PacSLRFとVocab@Tokyoの感想など

9月9日(金)から9月14日(水)まで,PacSLRFとVocab@Tokyoという2つの国際学会に参加してきました。その中で第一著者としての発表が2件と,コロキアムでの第二著者としての発表が1件で,6日間ある中でPacSLRFの最終日とVocab@Tokyoの初日にあたっていたため,2日で発表が3件あり肉体的にも精神的にもかなり疲れました苦笑

それでも,論文でしか名前を知らなかった人とお知り合いになれて,特に今回は普段あまりお会いできないような方々とお会いすることができたので,とても充実した毎日でした。PacSLRFはコロキアムにも発表する側で参加させていただき,そういう研究やるのかぁとかそういうツッコミ入るよなぁとか,タスク研究を今後やっていくとしたらどういう方向に行くべきかを考えることができました。organizerの新谷先生と,僕に一緒にやろうと声をかけてくれた福田さんに感謝です。

私は語彙が専門というわけではありませんがVocab@Tokyoでは,著名な研究者の発表やディスカッションを目の前で聞くことができて,かなり面白かったです。質問がガンガン出てきて盛り上がるのも聞いているだけでも楽しいです。そして,やっぱり面白いなと思う研究をやっている人は質疑応答のコメントも鋭いですね。そういうcriticalなコメントがぱっと出てくるようなそういう研究者になりたいなと思いました。

Vocab@Tokyoも習得とか語彙・コロケーション処理とかの研究は多少興味があるので面白かったです。参加費はそれなりに高いですが,語彙にちょっとでも興味のある人は院生でも絶対に一度は行ってみた方がいいですね。Vocab@Tokyoは規模はそれほど大きくありませんが(基本3部屋パラレル),それでも語彙に興味のある研究者が集うマニアック学会という感じで,これはこれでアリだなぁと。国際学会に行ったことがなかったので,東京で国際学会の雰囲気を味わえてとても刺激を受けました。

6日間東京にいて,一つ本当に悔しいなと思ったのは,私がまったく予想もしていなかった先生から帰りの新宿駅で「そのネクタイってダイヤル回すと声変わるやつだよね?」といきなり振られてとっさにうまい返しができなかったことです。まだまだ修行が足りないことを痛感したので,蝶ネクタイをつけるからには名探偵コナンネタが飛んでくることを想定して今後は学会に臨みたいと思います。

夏の学会シーズンもこれで一段落し,今年度は今のところ予定されている自分の学会発表は終わりました。ここまで寝かせてあった原稿をとりあえず1つずつ片付けて,年内に投稿にこぎつけたいです。来週から非常勤も始まるので,しっかりと計画を立てて1日1日を無駄にしないようにします。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

Vocab@Tokyo発表資料

明治学院大学で開催中のVocab@Tokyoで口頭発表をしました。以下が発表時に使用した投影資料です。

speakerdeckにも資料をアップロードしています(https://speakerdeck.com/tam07pb915/vocabattokyo)。時間と気持ち的な余裕がなくて発表前にブログをアップすることができなかったので,発表後の更新になってしまいました。なんとか発表を15分ちょいで終わらせ,質疑応答も一応乗り切ったのですが,今回もまた,「教育的示唆は?」と聞かれ,またかよと思いつつ「ありません」と言いましたw

フロアの人が補足で,どういう観点が教育的示唆につながりうるかということを言ってくれて,それにも救われました。PacSLRFよりも国際学会感が強い上に自分自身があまり専門ではない語彙研究者の集まりということもあってアウェイ感が半端無く,久しぶりにめちゃくちゃ緊張しました(PacSLRFのコロキアムも緊張しましたけど)。

発表が終わってホッとしていますが,「鉄は熱いうちに打て」の精神で,full paperにするのを頑張ろうと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

PacSLRF2016発表資料

金曜日から,中央大学多摩キャンパスで行われているThe Pacific Second Language Research Forum2016に参加しています。大会最終日(9月11日日曜日)午前の口頭発表枠の最初のスロットで口頭発表があります。私がD1の時に出ていた授業のレポートでレビューした論文を批判的に検討して追試を行ったものです。追行研究として良いかどうかはわかりませんが…

その後,D2でデータを取ったのですが,そのまま寝かせたままになっていて,昨年度の冬にまた同じ先生の授業でその取ったデータを分析して発表しました。それをもとにPacSLRF2016に出してみたらどうかと勧められ,応募したら口頭発表通ったので発表する事になったというわけです。詳しくは明日使用予定の下のスライドを見ていただければと思います。

データの解釈が結構難しくて,当初予測していたよりももっと複雑な現象なのかなと思いますが,「知識の習得」を文処理で議論する際にそんなに荒削りで大きいこと言って大丈夫ですか?というのがまぁ言いたいこと(タイトル)です。

ちなみに,午後はShintani Natsuko先生がオーガナイザーのコロキアムで,第二著者としてもう1つ発表があります。そちらは静岡県立大学の福田純也先生との共同で,タスクの繰り返しに焦点を当てた小規模のケーススタディです。

そして月曜日には明治学院大学でVocab@Tokyoという別の学会で口頭発表があります…ということであと数日は踏ん張り所ということで,頑張りたいと思います。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

明示・暗示の測定と指導法効果研究

結論からいうと,もはや指導法効果研究やそのメタ分析系の研究で測定具が明示的知識を測っているのか,あるいは,暗示的知識を測っているのかという話はしないほうが建設的ではないかという話。

Norris and Ortega (2000)やSpada and Tomita (2010)のメタ分析は,明示的指導・暗示的指導という2種類の文法指導の効果を検証したものです。そこでは,指導の効果と知識表象の関連性について議論されています。それで,「実務的な観点」とかいうと草薙さんみたいでアレなんですが,指導の効果測定として厳密な暗示的知識の測定具を用いることにどれほど妥当性があるかという問題です。狭義のSLA研究では,「暗示的知識の習得こそが言語習得」という見方なわけで,明示的知識の介入を許さない暗示的知識の測定具の開発や妥当性検証は必須です。しかしそれは,”ultimate attainment”の研究であり,母語話者と第二言語学習者の境界線を探ったり,あるいは第二言語学習者がどこまで母語話者のような言語知識を獲得することができるのかを目的としています。Suzuki and DeKeyser (2015)やVafaee et al. (2016)などの研究にも代表されるように,Ellis (2005)の因子分析による妥当性検証から10年が経っても未だに「真の暗示的知識測定具とはなにか」の問題はSLA研究の中心的課題の1つです。私が問題としたいのは,指導の効果検証にそこまで厳密な暗示的知識の測定具は必要なのかということです。Ellis (2005)が指摘しているように,実際のパフォーマンス上では明示的知識と暗示的知識の両方をフル活用して学習者は言語を使用しているのであり,Task-based Language Teaching (TBLT)的な観点での「学習者ができること」を重要視する考え方から言っても,ピュアに暗示的知識だけを測定しそれをもって指導の効果とすることにあまり意味があるようには思えません。だからといってすべては明示的知識を授けることが大事だとかPPPだとか自動化だとか言うつもりはありません。

話が一度それますが,明示的知識と暗示的知識の関係性(interface)について,練習によって明示的知識が暗示的知識に変容することをstrong interfaceの立場とし,この立場をとる代表的な研究者としてRobert DeKeyserが引用されることがよくあります。私もそう思っていたのですが,最近のDeKeyserはもはやこの立場でもなくなっています。DeKeyser (2015)では,宣言的知識が手続き的知識に変わる(turning into)という言い方は誤解されやすく,実際は宣言的知識を保有している状態で練習を重ねることにより,手続き的知識を獲得することが可能になると述べています(DeKeyser, 2015, p.103)。また,手続き的知識を獲得する段階は”procedualization”(手続き化)と呼ばれ,この段階ではまだ自動化(automatization)はされていません。手続き的知識を獲得するにはほんの数回のcontrolledな練習を重ねるだけでよく,そこから自動化させるためにはさらなる練習が必要であるとDeKeyserは述べています(DeKeyser, 2015, p.95)。つまり,宣言的知識は手続き化されて手続き的知識になり,その手続き的知識が自動化することで無意識的で流暢な技術を身につけることが可能になるというわけです。さらに,自動化は,自動化したかしていないかの0/1ではなく,連続的なものでもあります。DeKeyserの主張するSkill Acquisition Theoryを研究の基盤とする場合には,90年代のDeKeyserを引用するのではなく,このDeKeyser (2015)を引用するべきでしょう。もう一点,注意が必要なのは,DeKeyserのいう練習とは,いわゆる「パターンプラクティス」のようなものではないという点です。DeKeyser (2015)が,Skill Acquisition Theoryを援用した実証研究の例として,タスクの繰り返しの効果を扱ったDe Jong and Perfetti (2011)を引用していることからも,自動化に必要なのはcontrolledな練習ではないことがわかります。

話を明示・暗示と指導の効果に戻します。明示的知識の干渉を受けず暗示的知識のみを測定できる測定具を用いることをつきつめると,その手法自体は実際の言語パフォーマンスからはかけ離れたものになります。自己ペース読みや,ワードモニタリングタスクなど,上述のSuzuki and DeKeyser (2015)やVafaee et al. (2016)で暗示的知識の測定具として妥当だと言われているものは,もはや私たちが言語を使用する場面としては特殊すぎるでしょう。ただし,そこまでしないと明示的知識の干渉は防げません。なぜなら,特に高熟達度の学習者ほど明示的知識が介入していてもパフォーマンス上では暗示的知識のみの言語使用と区別がつかないからです。Ultimate attainment研究はそここそが研究の対象であり,一見母語話者と相違ないパフォーマンスを見せる学習者にも母語話者との差が見られる領域についてを研究しています。だからこそ,母語話者と学習者を弁別するための道具として暗示的知識の測定具が必要なのです。一方で,多くが教室環境で行われるような指導を受けた学習者が,どれほど指導によって言語能力を向上させたかをみるには,母語話者と超高熟達度の学習者を弁別するために必要な測定具が適切だとは思えません。測っている領域がまったく違うからです。暗示的知識の測定具の精度を指導法効果研究に求めれば,ほとんどの場合「知識があるとはいえない」という結果が得られることでしょう。また,自己ペース読み(視線計測でもいいです)やワードモニタリングタスクなどは,従属変数として反応時間を用い,主に正文条件と非文条件での反応時間の差が「統計的に有意であるかどうか」によって,知識の有無をカテゴリカルに判断しようというものです。この「知識の有無を0/1で判断できる」という観点が自己ペース読みの強みであるとJiang (2004)は主張しています。したがって,カテゴリカル変数よりも連続変数のほうが適切であるような,学習者の発達自体に興味がある指導法効果研究では,明示的知識が干渉していてもライティングやナラティブなスピーキングタスクで良いのではないでしょうか。もちろん,多肢選択問題や穴埋め課題,書き換え問題などでいいとは思いません。これらの測定具も,言語使用場面としては,自己ペース読みなどとは正反対の方向に特殊すぎるからです。

結果として,指導法の効果を比較した研究で明示的知識と暗示的知識の話を持ち込んで,その結果として「それは暗示的知識測れてない」とかいう批判を受けるような議論が展開されてしまうことになるわけです。それじゃあということで指導法の効果を自己ペース読みで測ったとします。そうなると今度はもともとの指導法の効果という観点からどんどん遠くなっていってしまうわけです。私自身の結論は,もう暗示的知識とか言わずにdiscrete-point testとperformance testで効果検証しました。ってことでいいのでは?ということです。

というようなことをPPPいいよ論文からSpada and Tomita (2010)を読み返して思ったのでした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

引用文献

De Jong, N., & Perfetti, C. a. (2011). Fluency training in the ESL classroom: An experimental study of fluency development and proceduralization. Language Learning, 61, 533–568. doi:10.1111/j.1467-9922.2010.00620.x

DeKeyser, R. (2015). Skill acquisition theory. In VanPatten, B., & Williams, J. (Eds). Theories in second language acquisition: An introduction (2nd ed). New York, NY:Routledge.[Kindle Edition]

Ellis, R. (2005). Measuring implicit and explicit knowledge of a second language: A psychometric study. Studies in Second Language Acquisition, 27, 141–172. doi:10.1017/S0272263105050096

Jiang, N. (2004). Morphological insensitivity in second language processing. Applied Psycholinguistics, 25, 603–634. doi:10.1017/S0142716404001298

Norris, J. M., & Ortega, L. (2000). Effectiveness of L2 Instruction: A research synthesis and quantitative meta-analysis. Language Learning, 50, 417–528. doi:10.1111/0023-8333.00136

Spada, N., & Tomita, Y. (2010). Interactions Between Type of Instruction and Type of Language Feature: A Meta-Analysis. Language Learning, 60, 263–308. doi:10.1111/j.1467-9922.2010.00562.x

Suzuki, Y., & DeKeyser, R. (2015). Comparing Elicited Imitation and Word Monitoring as Measures of Implicit Knowledge. Language Learning, 65, 860–895. doi:10.1111/lang.12138

Vafaee, P., Suzuki, Y., & Kachisnke, I. (2016). Validating grammaticality judgment tests: Evidence from two new psycholinguistic measures. Advance Online Publication. Studies in Second Language Acquisition. 1–37. doi:10.1017/S0272263115000455

教育的な示唆はありません

全国英語教育学会(JASELE)埼玉研究大会で口頭発表をしてきました。もともとはJASELEで発表するつもりの研究ではなかったのですが,昨年度も同じような発表をしたのであまり深く考えずに発表してしまったことを少し反省しています。そこで,その反省をもとに,発表する内容と発表する場所を今一度よく考えることにしました。

私はD1で博士論文研究のテーマを変えてから,私の研究の多くが言語処理の研究になっていました。いわゆる基礎研究というやつです。第二言語学習者が英語の単語または文をどのように処理しているのかに焦点を当てた研究です。はっきり言って,こうした研究から直接的に導き出される教育的示唆はありません。論理を飛躍させて教育的な示唆を無理矢理ひねり出すよりは,「教育的な示唆はありません」という態度を取ることが,基礎研究をやる者としての誠実な態度であると思っていましたが,それも発表する場によるということは勉強になりました。「全国英語教育学会」という名前の学会なのに教育的な示唆がないならその研究をここで発表する意味は何かと言われたら「はいすみません」というしかありません(実際に明示的にそう言われたわけではないですけど)。

それでも誤解してほしくないことは,私は英語教育にまったく興味がないわけではないということです。ただし,私は教育的な示唆を視野にいれた研究と,そうではない研究に線引きをしているだけです。狭義のSLA研究や心理言語学的な研究もやりますし,Instructed SLAや教室実践系のこともやるという二足のわらじ的な考えです。教育的な示唆が考えられる研究や実践報告も割合は少ないですがこれまでにやってきていますし,博士論文以降はむしろそうした研究に軸足を移していこうとも考えています。

ちょっとは大人になったつもりだったんですが,今振り返ると質疑応答では未熟で稚拙な対応をしてしまったなと反省しています。失礼しました。

私は文法の習得や処理についての言語的な要因を検討する基礎研究は,最終的には教育的な示唆につながっていくとは思っています。つまり,言語の要因や条件ごとに難しさが異なるということが明らかになり,そうした研究が蓄積されていけば,学習者の言語使用・パフォーマンスを教師(または学習者自身)が観察する際の参考資料になりうるからです。ただし,それは今回発表したこと自体やその直接的延長線上(どこをどう延長するかで解釈は変わるかもしれませんが)にあるということではありません(博士論文では教育的な示唆まで踏み込まないつもりですから)。

ということで,全国英語教育学会で発表する際にはそういった点に気をつけたいと思います。この度は申し訳ありませんでした。

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。

JASELE2016埼玉大会発表資料

明日埼玉県の獨協大学で行われる全国英語教育学会埼玉研究大会にて口頭発表します。資料はspeakerdeckとslideshareに公開しています。去年熊本で発表したデータ(リジェクトされたのでまだ出版されてませんすみません)とは別の観点で取ったデータを元にして,博士論文研究のベースのさわりにちょっと触れるようなそういう話をする予定でいます。

ちなみに私の発表は1日目の午後14時30分から第5室(302)です。

リオデジャネイロオリンピック

NHKのオンデマンド配信で卓球の女子団体戦3位決定戦を見ていた。無料でいくつかの競技のライブ配信や見逃し録画が見られることは知っていたのだけど、月額972円でもっとたくさんの競技の録画映像を見られると知ってポチってしまった(テレビを買ったりネット回線引くより断然安い)。1番の理由は錦織くんの3位決定戦を見ること。マレーに完敗した試合を見てこりゃ無理かなと思っていたけど,ニュースで銅メダルを獲得したというのを見て驚いたし,いったいどんな試合をしたのか見てみたかった(実際テニスの試合はほとんど見たことがなかった)。

それで今日の午前中に録画映像を見ていて、興奮した。2セット目を逆転されて落としてから切り替えて3セット目取ったところとか。その前にマレーに完敗してからの気持ちの切り替えもそうだけど。私はサッカーやバスケなどのチームスポーツをやってきた人間なので,テニスや卓球などの個人スポーツ選手は本当にメンタルが強いなと思う(もちろんダブルスもあるけど)。錦織くんは1989年生まれで学年が1つ下なので同世代として親近感もある。そのあと続けて女子卓球団体戦の準決勝も見た。負けてしまったドイツ戦。愛ちゃんは僕と同学年なので錦織くんより親近感がある。シングルスの3位決定戦で負けてしまった時も残念だったけれど、その思いを胸に臨んだ団体戦でもダブルス・シングルスと落としてしまい,試合後のインタビューでは「責任はすべて私にあります」と言っていた。

3位決定戦では一番手で登場したもののやはり負けてしまい,その後に石川佳純が1-1に戻してからの伊藤美誠とのダブルスで勝ちきった。そのまま流れに乗って4戦目の伊藤美誠が勝って銅メダル。しかしこの伊藤美誠もすごいね。15歳とは思えないメンタルの強さがあると思う。

試合後のインタビューで1番涙をこらえそうになったのは,愛ちゃんが最後にリオ五輪を振り返っての感想を聞かれて,「いい試合もたくさんあったけど、悔しい試合もそれと同じくらいあった。本当に苦しいオリンピックでした。」と答えた場面。シングルスでは自己最高のベスト4でもメダルには届かず,団体戦でも勝負所で勝ち切れなかった。結果的にメダルは取ったけれど,「足を引っ張ってばかりで…」という発言にも,自分のパフォーマンスには満足がいっていなかったことがあらわれていると思う。

アナウンサーもしきりにダブルスを組んだ伊藤美誠との年齢差が12歳と言っていたけれど、チームの最年長であるということも責任感を感じさせていたのかもしれない。僕なんか5個下の後輩ですら色々難しいのだから,いくらスポーツの世界といっても12歳年の違う仲間との距離感とかはすごく難しそう思える。実際はどんな感じなのだろう。
話は変わって,バスケットボール。男子は今大会は出場できなかったけれど,女子が結構頑張っている。AKATSUKI FIVEと呼ばれているらしいのだけれど,そのキャプテンの吉田亜沙美。彼女は私の学年が1つ上。東京成徳高校でプレーしていたのを間近で見ていた。当時から男子ばりのプレーをしていて,東京のスター選手だった。新人戦の代々木第二体育館だったかウィンターカップの東京体育館だったかでプレーしているのを初めてみて,こんなうまい人いるんかいなと思ったのは今でも覚えている。国内のバスケ事情はそれ以降全然追いかけおらず,リオ五輪のニュースで「吉田亜沙美」の文字を見たときに「あの東京成徳の?!日本代表のキャプテンなの?!」と驚いたものだ(ちなみに,同じく学年1つ上で当時国学院久我山の小野龍猛も男子の日本代表だと最近知ってびっくりした)。

女子バスケは結局アメリカ相手に完敗してしまったけれど,前半までは互角の勝負だった(ニュースで先に結果を見てたから,前半の戦いからどうしてあんな点差になったのか不思議なくらいだった)。日本は前半スリーポイントもあたっていたし,FG%(フィールドゴールパーセンテージ)も50%越えてたんじゃないかな。トランジションもかなり早くてディフェンスもかなりファイトしていたから,これ後半まで持つだろうかと思っていたらやっぱり第3Qでじわじわと自力の差が見え始めて第3Qの半分で20点差もつけられてしまった。流れの悪い時にターンオーバーが続いてしまい,そこを確実に決められて引き戻せないくらいの点差がついてしまった感じ。オフェンスも攻めあぐねていてシュートを打たされていた印象。誰かがボールを持っても連動した合わせの動きがなかったし。逆にアメリカは個人技でもチームで崩しても確実にシュートを沈めていて,前半やられていたスリーポイントやピックアンドロールに対するディフェンスもしっかり対応していた。日本は結果的に第3Qで13点,第4Qでは5点しか取れなかった(控え選手を出していたのもあるけど)。最終的なFG%もアメリカが65%に対して日本は34%まで下がってしまった。スリーポイントもアメリカが61%に対して日本は38%。それにしてもアメリカはほんとシュートがうまかった。

そんなわけで同世代の人たちが世界を相手に闘っているのを見ると,自分も上を目指してチャレンジすることをやめちゃいけないなと思うのである。サッカーでもバスケでも,自分はレベルの高いところには手も届かなかったけれど,幸い私のいる世界はオリンピックのように日本の代表選手になるための戦いもなければ,グループリーグの予選も上に勝ち進むためのトーナメントもない。そういう意味ではスポーツに比べたら圧倒的にチャレンジしやすい環境だと思う。体格の差もまったく関係ないし。

などと言っている間にもう8月も半分過ぎてしまった。今週末は全国英語教育学会の発表なので,まずはその準備から…

なにをゆう たむらゆう。

おしまい。